甲府駅での経験(もしくは、正しいことは人を不愉快にさせるかも、と気が付いたこと)

去春から首都圏の電車は走行時に開閉可能な窓を数センチ開けて走行してることがあります(だいたい「ここまで開けてください」的なマークが貼ってあることが多い)。困ってしまうのは車内放送が聴き取りずらくなることで、遅延の告知を聞いていたらトンネルに突入して「勘弁してよー」となってしまったこともあります…って、そんな話をしたいわけではなくて。

緊急事態宣言が出てた今年の2月に小田急線に乗っていたときのことなんすが、すべてではないものの既に車内の窓は何か所か数センチ開けてある状態で、私の座ってるところの反対側の閉まっていた窓をマーク以上にばっさりと開けた人が居ました。その人がそこに座るのかと思いきや決してそんなことは無くて(読んでいた本に視線を落としていたので)知らないうちに隣の車両へ移動して行ってます(扉を開ける音で移動したことに気がついた)。その行為は発車前の停車中のことで、走り出したら寒いに決まってるので窓をマークの位置に戻しつついくらか不愉快な気分になり「いやがらせもしくはイタズラの類かなにかかな」と考えたのですが、しかし緊急事態宣言下では窓を開けることはむしろ正しいことかつ良いことであったりします。時として「正しいこともしくは良いことって不愉快に繋がるのだな」と認識した瞬間です。

話はいつものように横に素っ飛びます。

今週に入ってからのことなのですが甲府駅で、目の前に居る人が視線を集めてるのに気がつきました。目の前に居る人を改めて確認するとたしかに違和感があったのですが、すぐには気付かず。数秒後、その違和感がノーマスクであることに気が付きます。東京の新規感染者数はかなり減ってて山梨はゼロの日がけっこうあるものの、しかし新型コロナが収束したわけではありません。予備のマスクがあるので渡そうかとか、マスクお持ちではありませんか?と声をかけようか、と続けて数秒躊躇していました。その直後、そのノーマスクの人は売店のマスクに手をかけていました。それを見届けて、私も含めてみんな視線を逸らしています。声かけてたら絶対不愉快に思われてケンカになるところだったはずです。匿名を奇貨として書くと、恥ずかしながらこのとき、私は自分がやろうとしていたことを「正しこともしくは良いこと」とおぼろげながら思っていました。行動を起こすかどうかは別として、しかし根っこでは2月の小田急線の窓開けの人とたぶん一緒です。

書けばどってことないのですがこれらの経験から書けば書くほど万人受けせず悪人っぽくなるのですが「正しいとか良いことと思って行動しようとするときは、他人を不愉快にする可能性が高いのでは?」と考えるようになりました。と、同時に「正しそうなこともしくは良さそうなことというのは、それが妥当かどうかの再検討を含め、思考をどこか麻痺させることがあるのでは?」と疑っています。もちろん正解かはわかりませんし、正解があるのかもわかりません。

最後に匿名を奇貨として告白を。

エスカレーターを歩いたり駆け上がったりはしてはいけない、というのは知ってるのですが、高架のホームで寒い風にさらされながら次の電車を待つというのはキツイので、電車が入線してるのが判ったり発車ベルが聞こえたりすると、いけない事と知りつつもエスカレーターを駆け上がってしまうことが無いわけではありません。私は早漏ではないし遅漏でもないけど、ちょっといけない大人です。なので、正しいことを含めた善悪を語る資格はないかもしれないので、このへんで。