文章を読んでその情景を思い浮かべることの難しさ

題は大げさですがいつものようにくだらないことです。

きっと繰り返し書いているはずなのですが百人一首のうち任意の(50もしくは)30首を覚えろという課題が学生時代にあって、難儀した記憶があります。富士と筑波の和歌が一首はあるもののそれ以外は出てくる地名はだいたい京阪神で、東京で育つとまったく縁のないところが題材として取り上げられているからほぼわけわかめで、「三笠の山にいでし月かも」と云われたって「文明堂のどら焼きの山の向こうに月が出て鴨が飛んでるわけじゃないよな…」と知りつつも三笠山を知らないんだからどういう情景かがつかめません。富士山のような山なのか八ヶ岳のような山なのかわからぬのでどら焼きをイメージして覚えるよりほかはありませんでしたって黙ってれば賢さを装えるのに書かなくても良いようなことを書いてる自覚はあるのですが、それはともかく、古典の理解はきっと現地現物を見ようと思えばなんとかなる京阪神生まれのほうがアドバンテージはあるはずです。念のため書いておくと、大人になって奈良へ行って三笠山というのを眺め、どらやきの山の向こうに飛ぶ鴨を消去して、上書き更新しています。

強制的に覚えさせられたものではないもののいまいち情景がつかめないのが「たきび」という童謡の情景です。山茶花の咲いた道で焚火をしてるという単純な歌詞なのですが、東京郊外の多摩地区を含む関東は晩秋から春にかけてけっこうな頻度で北西の強い風が吹きうちのあたりでは道端で焚火をしたら飛び火しかねず危なっかしくてしょうがなく、個人的にそのような情景を見た記憶がありません。以前住んでいた街もいま住んでいるところも落ち葉が大量に出るところなのですが焚火はまず誰もしないです(落ち葉は月二回回収に来る)。なので(北風ぴーぷー吹いている状況下での焚火が妥当かを含めて)「たきび」に描かれてる情景はこの世に存在しないフィクションか、おそらく関東ではないどこか別の地方の話なのだろうな、と夢想しています。

文章を読めばその情景が理解できるはず、というのもわからないでもないのだけど、三笠といい「たきび」の経験から、誰もが同じように考えるわけではないのではないか、とは文字にすればなんだかあたりまえのことを考えちまうのですが。

はてな今週のお題が「秋の歌」で話をそちらへもってゆきます。

桑田佳祐さんの曲に「金目鯛の煮つけ」という曲があります。どんな曲かの詳細はなんらかの方法でお聴き願いたいのですがすこしだけ不粋なことを書くと曲名の通り曲中で金目鯛が甘辛く煮つけられます。私はつい先日まで「金目鯛の煮つけ」をなぜか秋の歌だと思っていました。しかし歌詞を読むとあんまり秋らしさはありません。キンメは晩秋から春にかけてが旬だと思い込んでて夏の終わりはあんまり美味しくない(はずな)ので、やっと秋になって美味しいのが出はじめたぞと煮つけにするのは理解できなくもない、という解釈をしていたのが原因です。もちろん正解は桑田さんに訊いてみないとわかりません。が、曲を聴いてそろそろ美味しくなるはずだし「キンメの煮つけもいいな」と去秋に作ってしまったこともある程度に私は軽薄で、正解が無くても・正解でなくても秋をイメージしてしまうかもしれなかったり。

文字以外のことにも引き摺られるので、文章を読んで描かれたその情景や背後を理解するのって、案外難しいのかも、と毒にも薬にもならないしその上異論も多そうな、そしてクスリともできぬ結論になってしまうのですが。