もし過去に行ってやり直せるのなら

以前、歴史に名を遺した人の筆跡を集めた展示で光明皇后の書いたものと旦那さんである聖武帝の書いたものを青山の美術館で見学したことがあります。光明皇后の文字は美しいというよりも力強く迫力があり、一度目にするとちょっと忘れることが出来ません。対して夫である聖武帝の字は真面目さはあるけど迫力がありません。テキトーなことを書くと、筆跡だけみてると誰が誰にとはいいませんが尻に敷かれてたのではあるまいか?と想像しますって、不敬罪になりそうなことは横に置いておくとして。

今朝のNHKEテレの日曜美術館は奈良の正倉院展の特集で2人分の朝食の用意をしながらチラチラと視聴してて、酒の席に誘うような文言を含めた杜家立成という文例集の紹介があって、画面に映し出されたものがどこかで見たような力強い迫力のある字で「もしかして光明皇后ではあるまいか?」と思ったらその通りでした。念のため書いておくと、その字は私よりかなり巧いです。

パソコン等で入力してる限りはバレないだけで、私は字がきれいなわけではありません。署名しなければならない場面ではなるべく注意して慎重に書いてはいますが、読めない文字ではないけど若干丸文字じみたお世辞にも達筆とは云えない文字列が並びます。

番組内では(記憶に間違いなければ)字がきれいであることが教養のひとつになっていたと触れられてて、いまはそうでなくてよかった・現代に生きててよかった、とつくづく思ったのですが。

昼に外出してて中華を食べようとしたものの席が空いてなく、店の前の紙に名前を書いて待つシステムなので名前を書こうとしました。しかしよく見るとカタカナなのにみんなきれいな字で書きこんであります。ほんのちょっと躊躇してると「他も混んでるし、ここでいいよな?」と横からペンをとって私の苗字を書き込みはじめました。その字はやはり私の字より巧く、単なるメモ書きでもすげーよな、と羨ましさと少しの嫉妬が正直ないわけではなかったです。

朝から字についての意識が頭のどこかにあったせいか、おのれの人生を振り返ってもしやり直せるとしたらどこかで日ペンの美子ちゃんじゃなくてもいいので、字の矯正をしたいな、と今日はちょっとだけ思いました。