「大江戸りびんぐでっど」

シネマ歌舞伎「大江戸りびんぐでっど」を観ました。個人的に小学生のなつやすみ感想のように「おもしろかったです!」で済ませても良いのですが、(メイクがかなり生々しかったりするので)問題作とは云わぬもののかなり評価の割れる作品のはずで、でもって簡単に終わらすのはもったいないのでもうちょっと書きます。

不粋ないくらかのネタバレをお許しいただきたいいのですが、西洋でいうところのゾンビが江戸にでてくるおよそ10年前の歌舞伎作品です。いまゾンビと書いてますが作品では存鼻とされ、市中へのゾンビの出現に当然のことながら奉行所も困惑するシーンがあります。ゾンビは言語に意思疎通ができないことはないけど困難で、容姿も生きてる人間に近いけど同じではありません。しかし死者ではありませんし死の反対の概念である生きてる人間と同等か?といわれると確実に違います。奉行所の困惑を通してゾンビとはなにか?とかいうのことを観ているこちらにも問いかけます。しかし突き詰めることはせず、奉行所も江戸の人たちも存在を許容しつつ同等ではないものとして扱い玉虫色の妥協策をし、しかしそれが江戸市中の人々の生活や安全を脅かす伏線になってゆきます…って(それに気がついたのは終盤に差し掛かってからで)詳細は何かしらの方法でご覧いただくとして。笑かすエピソードが散らかりつつも風刺を入れつつも根幹の物語が詰め込みすぎなわりに緻密で100分を越える作品にもかかわらずスクリーンから目を離す隙がほとんど無かったことを告白します。

風刺と書いたのにはわけがあって、作品中に若くはない女郎が若い男に対し、意思をかまわずに性的に襲い掛かるシーンがあります。江戸では無い平成令和でも若くはない者が若い者を性的に襲うのは残念ながらいまでもありますが(私は同世代のひととしかほぼ同意のうえでいたしたことしかないのでいまいち理解しにくいのですが)、相手の意思を問わずに襲い掛かろうとするのは別に人間でもありえるわけで、生身の人間とゾンビとどこが違うのだ、といわれると答えがないです。わりと「品がない」とされてしまう可能性のある描写で笑かすエピソードっぽい扱いでしたがあえてそれを入れた作者の宮藤官九郎さんの視点にちょっと唸っています。またゾンビを同等ではないものとした途端に格差があたりまえでそれに登場人物誰もが疑問を抱かないところも、自らと異なる存在は下にみてよいという風潮に根っこのところで通じる気が。

さてゾンビは「あー」とか「うー」としか云わぬものの、つまり単語を発したりせず言葉が言葉になっていなくとも、物語の進行につれてなんとなく云わんとしてることが観ているこちらにも理解できそうになってくるのがちょっと興味深かったです。ゾンビの役の役者さんが巧かったというのに尽きるのですが、意思疎通って言語だけじゃなくて身体表現などでもかなり伝わるのかもな、と改めて気づかされてます(もしくは私もゾンビなのかもしれぬ可能性もあるのですが)。

役者ついでに書くと、物語には落語の「居残り佐平治」「らくだ」「死神」のエピソードがでてきます。「死神」の部分に獅童丈がでてくるのですけど(なので「あじゃらかもくれん」は獅童丈が云っていた)、なぜかこの獅童丈だけが役にはまっておらずなぜか照れながらやってるように見えてます。そこだけが残念で、しかし「死神」の時の獅童丈を除くと私は物語の中にほんと引き込まれていました。当時の市川染五郎丈(いまの幸四郎丈)を筆頭に、亡くなった勘三郎丈や三津五郎丈、闘病前の福助丈、そして扇雀丈や片岡亀蔵丈など巧い役者が揃っていたせいもあります。もちろん生とか死にまつわるシリアスな場面もありますし歌舞伎の領域として型などは守りつつも、セリフを含めはっちゃけるところは思いっきりはっちゃけてるので(笑わせようとするところは本気で笑わせようとするので)、ほんとゲラだなと呆れられた程度に何度か腹を抱えて笑いだしそうになるのを必死に堪えてました。

正直万人受けする作品ではありません。でも、なんだろ、怪作というか快作であることは間違いなく、いつかコロナが収束したら再演して欲しい演目ではあったり。なお松竹MOVIX系で来月2日まで上映中です。