「夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定は違憲であるとする訴訟」の雑感

氏の話をするとややこしくなるのですが、国民すべてに氏を名乗るように強制するようになったのは徴兵制ができた明治8年太政官布告からで(徴兵制に付随して戸籍も整備され、極端なことを云うと氏や戸籍は富国強兵の副産物です)、31年に旧民法が成立するまでは婚姻した場合でも形式上は実家の姓を名乗ることができ夫婦別姓でした。旧民法は先行した戸籍制度を活かし婚姻に際して家を同じくし同じ氏を名乗るように規定します。それがいままでずっと続く夫婦同姓の制度です。明治民法下では家の戸主が一定の権限を持ち戸主の同意を得ずに婚姻した場合、その家から離籍させることができました。しかし現行憲法下および現行民法下では家の戸主という制度は消え、婚姻は「両性の合意のみに基いて成立」(憲法第24条1項)するようになっています。しかし、戸籍制度を残して民法家族法をもたれかかせたままで民法を大改編したわけではないので、明治31年以前のような夫婦別姓にはもどっていません。「夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」(民法750条)こととなっています。

わたしはいまではくたびれたおっさんですが美青年だった学生時代…じゃねえ、くたびれた学生時代から、夫婦別姓について議論があったと記憶しています。夫の氏を称する事例が多くそのことから以前はよく男女平等の観点からも云われててそれはそれでわからないでもないのですが、かといって、同氏制が当然に平等ではないというと「ほんとうにそうなの?」とも思えてて(男女平等からはそこに帰結しないのでは感がぬけなくて)、あまり深くは勉強していません。ただ、同じ氏を名乗ること=家族としての共同体の表示への必要性というのは人によって差があるのもわからないでもなく夫婦別姓を求める人の意見などを読むと、それも理解できなくもなかったりしますって、ゆらぐ不勉強なわたしのことはどうでもよくて。

不勉強なものの新聞等に載る夫婦別姓に関する訴訟の記事は目は通していて、実は平成27年の訴訟についてはちょっとひっかかっていました。というのは憲法24条について「婚姻は当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであるという趣旨である」(最判H27・12・16民集69巻8号2586頁)と最高裁判決理由中で述べていて、夫婦別姓から若干離れるのですが24条は同性婚を全否定したものとも思えず、同時に、夫婦別姓についても全否定とも思えないけっこう興味深いことを述べているのです。

23日に出た別姓に関する訴訟の大法廷判決について、平成27年判決理由中の文言が維持されてるのかどうかが判決全文を読んだわけではないのでわからないのだけど、毎日新聞の24日付の記事を読む限り、夫婦別姓を認めないのを違憲とした裁判官4名のうちの2名(宮崎裕子裁判官・宇賀克也裁判官)の補足意見の中の「夫婦同姓を受け入れない限り当事者の婚姻の意思決定を法的に認めないとする制約に合理性があるとはいえず、不当な国家介入にあたり24条に違反する」というのは、どうも上に挙げた前回の判決理由の延長線上にある気がしてならず、また個人的には腑に落ちるものでした。ただ違憲判断が多数意見にはならなかったのは(平成27年判決理由中の文言を好意的に評価していたせいもあって)個人的には残念ではあったり。

もっとも15名中7名の補足意見がつくのはおそらく相当激論があったはずで、また合憲の判断に傾いたもののうち3名の裁判官が補足意見として「夫婦同姓の規定が国会の立法裁量を越えるほど合理性を欠くと断ずることは困難」という表現で夫婦同姓の合理性について述べているのが興味深く、つまり15名中7名が夫婦同姓について最高裁の裁判官さえなんらかの疑義を示しているわけでそこらへんを含め、また社会の変化などを改めて考えると、明治期から続くこの国の婚姻に関する制度や戸籍制度を含め、なんらかの是正措置はやはり必要なのではあるまいか、とは不勉強ながらも思うのですが。