浴場に居る透明人間の存在の問題(もしくは問題を問題と思っていない問題)

21日付の毎日新聞東京版に韓国の新聞の元東京特派員だった方(李河東朝鮮日報国際部長)の署名記事が載っていました。その中で日本赴任中での出来事として、温泉やスポーツクラブの浴室などで清掃などで入ってくる女性の存在について書かれていて、最初は衝撃を受けていたのだけどそのうちほかの日本人と同じように「まるでその場にいなかったのように」対応し習得し、それを活用していたと告白しています。と同時に誰もが会話をせずそこに居る人を「透明人間のように扱う」ことの違和感を率直に述べていました。加えて深刻な問題なのでは?という問いかけをしています。

私は視力がよくなくてコンタクトレンズをしていますが、風呂に入っているときはさすがに外しています。入浴前後のことをしっかり記憶してるかというといくらか怪しいです。記事を読んで思い出せる限り視力が悪いので視認した記憶はないのですが、云われてみれば塩原か鬼怒川か下部かどこかの温泉の浴場で入室の断りの口上をする女性の声がしていたことは記憶があります。確かに誰かと会話してる様子はなかった記憶が。それがどこが問題なのかと問われれば、そこに居ても居ないような扱い≒人として扱ってないのに限りなく等しいわけで。

記事では違和感を日本人や日本の女性にもぶつけています。「男性浴場に女性が入ることは問題ないが、その逆は許されない」という意見があったことを紹介しながら「日本の文化の特殊性と考えているようだった」とも書いています。と同時に、男湯に居る透明人間の女性という問題と日本人女性の地位が他国に比べて低いことが関連しているのではないかという問いかけをし、女性の尊重・女性の地位向上について述べられていて、加えて文化の特殊性に言及することは女性軽視につながるのではないか、とくぎを刺していました。

読んでいて持っていたコーヒーを置き直す程度に熟読しちまい、個人的にはとても腑に落ちる記事で・同意すべき点が多かったです。それで済ませても良いのですが正直に書くと、「男性浴場に居る透明人間の女性」ついて実は恥ずかしながら記事を読むまで違和感すら意識してなかったことを告白します。「男性浴場に女性が入ることは問題ないが、その逆は許されない」というのも一瞬妥当かもしれないと考えてそれは最初に断定があって断定ゆえに思考停止に陥ってるだけでは?と数秒後に気がついて、おのれの思考の浅さを恥じたのですが。

話はいつものように横に素っ飛びます。

記事を読んでいて以前読んだ(ラノベの)青ブタのなかの

「私自身も空気を読んで、さも正しいことのように受け入れていた。何の疑問も抱くことなく」

「逆に、疑問に思わないからできるんだろ。何かまずいことをしているっていう自覚があれば、案外その通りに動かないんじゃないか」

青春ブタ野郎はバニーガール先輩のゆめを見ない」P267

という部分を咄嗟に想起しました。物語の中で登場人物の、問題を問題と思っていない集団の一員として無意識にやってしまってることへの告白とそのフォローです。空気を読んで自覚なく無意識でやってしまうからこそ気がつきにくく、ゆえに厄介です。そこらへんについてフィクションで予め読んでいたので、今回の記事がより腑に落ちたのかもしれません。もちろんフィクションでは問題は解決します。

が、フィクションではなく実際にあることで、問題を問題と思っていない無意識でやってしまってること・それを誰も疑問に思わないこと、加えて空気のようなとらえどころのない文化の特殊性という思考停止に陥りやすい言葉を前にすると、指摘された課題の解決にはなんだかすごく道が遠そうな気が。