「道徳的にLGBTは認められない」雑感

シンガポールではガムは持ち込み禁止です(例外として口腔の健康に良いものやシュガーレスのものだけ薬屋で売ってる)。持ってると罰金か禁固刑です。独立後リー・クアンユー元首相が実権を握っていた時代にガムの食べかすでのいたずらが多発してガムのシンガポール国内での販売所持が禁止になりました。ガムの食べかすのイタズラは道徳的に良くないことですが、道徳的によくないことを法律に反映させて封じ込めようという発想は、すくなくとも私はちょっとそれが滑稽に思える程度の違和感があります。法が人の行為を規制するのは最小限であるべきと思ってるからなのですが。

英国において同性愛というのはかつて犯罪であったのですが英国の国会議員が問題提起して英国政府が動き、1957年にウルフェンデンリポートというのがでます。内容としては刑法から道徳的な要素を排除するべき、という提言で同性愛の非犯罪化を含む答申をしました(これは英国に限らずドイツや日本の法学者にも影響を与えます)。それから10年後の67年に性犯罪法というのが制定されてイングランドウェールズで同性愛が犯罪ではなくなります(UK全土になるのはそれから15年後の82年です)。ただし一筋縄ではいかなくて犯罪ではなくなったものの刑法以外ではそうはいかなくて、地方自治体は意図的に同性愛を推奨してはならないし同性愛を許容する内容を公立学校では教えてはならない、という趣旨を含む地方自治法サッチャー時代にできます。思想統制すれすれのことはブレア政権ができるまで続いていました。

多様性を認めて寛容な社会を作ってゆくためのLGBT理解促進法案というのがあるのですが英国の事例を知っていたのでそう簡単に法案が通るとも思っていなかったものの、報道で知る限り「道徳的にLGBTは認められない」といった意見が現在の与党側から出たようで、今国会では成立しない見通しです。憲法ではなくて道徳ってのがあって同列か延長線上に法律があるというひとがいるんだなあ、と興味深かったです。道徳的に良くないことを滑稽なまでに法律に反映させ封じ込めるシンガポール化してないだけよいのかもしれませんが。

話はいつものように素っ飛びます。

道徳はないよりあった方が良いものですが、道徳というものは憲法と異なり明文化されていませんし誰もが同じものを持つわけでもありませんから道徳的にやめておいたほうが良い事というのは誰もが共通認識を持つとは限らない可能性があります。だからなにかしらの価値判断に道徳を用いるのは正直違和感があります。

人は私的な部分では強制されない選択と行為の自由はあるはずであって、それは性の場面では多様性や寛容な社会があってはじめて完全に成立するものと考えます(いまの段階ではそれが実現できているとは到底思いませんしこの先も成立するのか怪しいので諦めの境地ではあるのですが)。とはいうものの、現状はそうはなっていないわけで、選択や行為に制約を課しているものはなにかといったら「道徳的にLGBTは認められない」という言葉からすると不明確かつあいまいな、読まなければいけない空気のような道徳というのがベースになってることを今回改めて知ってしまったわけで、さすがにちょっとしんどかったり。

道徳的に認められないことしてるのかな、という自問して、ああそういえば以前乳首にシュークリームのクリームを載せてそれを舌で掬ったことがあったっけ…あれは食べ物を粗末に扱ってるから道徳的にマズイかも、とは思ったものの、別に誰もそれくらい一度はしてますよね?(してないかもですが)