「今日よりも明日が良くならないかもしれないと感じる場合」どうすれば?

以前に似たことを書いてるはずなのですが、書きます。「なぜゲイは簡単に身体をあわせてしまうのか」という説題をweb上の知り合いからずいぶん前に投げかけられたことがありました。以前読んだ秋里和国さんの「TOMOI」の中に不特定多数の同性と性的関係を持つ可能性のある場所にゆくリヒャルトさんという人がでてくるので設題の趣旨はわからないでもなかったのですが、でも「それってゲイだけですかね?」と咄嗟に答えた記憶があります。理屈があるようでないのですが「今日よりも明日が良くならないかもしれないと感じる場合に、いまの楽しみを優先する」行動をとるのは判らないでもなくて、だとしたら属性や性別は関係ないんじゃ、と。

もちろん作中のリヒャルトさんがそう考えていたかなんてわからないです。ただ舞台はいまよりAIDSがよくわかっていなかった80年代で、リヒャルトさんは医師でその時代に最先端の医学情報を知りうる・先が予測できる立場に居た人であったりします。「TOMOI」では主人公がリヒャルトさんを探しに行きます。その後リヒャルトさんと主人公がどうなったかは単行本をご覧いただくとして。

いつものように話は素っ飛びます。

勤務先のそばの地下街のキリンシティはビヤホールでありながらいまビールの提供がダメなので休業中です。都内全域でそうですから報道されてる路上や公園で飲酒する人の存在は不思議でも何でもないです。ワクチンもいつ順番が来るのかわからないし、仮に五輪を開催するとなるとコロナ対応やワクチン接種準備などで大変な病院や地区医師会から要員を派遣してもらう計画であるとか(4月3日付毎日夕刊)、映画館も劇場も博物館も植物園も閉まってしまい+都県境はまたぐなという御触れがでてて、報道に接すれば接するほど「今日よりも明日が良くならないかもしれないと感じる」ので、「いまの楽しみを優先する」行動はそれほど変なことにも思えないので、同じ行動はしないものの、根っこのところではどこか理解できます。

心理学とか一切やってこなかったのでまったくの門外漢なのですが、「今日よりも明日が良くならないかもしれないと感じる場合」に(仕事の都合で穴をあけるわけにはいかないので)「いまの楽しみを優先する」わけにもいかない場合、どうやったらその日その日を切り抜けていけば良いのでしょうか。新聞は読んでもテレビは最低限しか見ないようにはしつつ・読む本を買いためたりしつつ・料理について考えたりしつつ、いつか終わりが来ると考えて耐え忍んでいますが、先が見えないってのはちょっとしんどいな、と。

地下鉄とJRの乗換駅で発車ベルが聞こえてあわてて階段を駆け上がり、無事乗れたはいいけどマスクが外せないのもちょっとしんどいのですが。