「民衆暴力」を読んで(もしくは貧困の自己責任論の萌芽について)

私は怠惰な人間なので、仕事以外ではあまり予習はしません。行った土地で引っかかったことがあるとあとで調べることがあります。明治時代の武装蜂起である秩父事件について教科書には載っていたはずだけどどんなものかはちゃんと説明できないことに先月に秩父へ行ったときに気がついて、積ん読状態だった「民衆暴力」(藤野裕子中公新書2020)という本を引っ張り出して付け焼き刃で学習していました。

以下、恥を忍んで書きます。

本を読むまでは秩父地方は養蚕が盛んで(それが秩父銘仙につながるのですが)、欧州の生糸価格の値段が暴落すると養蚕農家は苦境に陥り武装蜂起につながるのかな?といった程度のかなり粗いテキトーな知識でした。なので、江戸時代とて飢饉や商品相場の暴落などで農民が苦境に陥ったことはあったはずなのですが、なぜ明治時代の秩父で先鋭化した武装蜂起が起きたのかがずっと謎でした。上記の本ではその点について詳細に語られています。

いわゆる質地受戻慣行、田畑を担保に借金をして約期までに返済できなかったとしても元本を弁済すれば取り戻せるシステムが江戸期にはあったこと、プラスして秩父独特の習慣として同じ村内の有力豪農が借金棒引きの代わりに抵当物件を取得する「片付」というシステムがあったことを述べていて、農民が破滅を迫られることをできうる限り避ける機能および借財整理を農村内で完結し農村部の共同体をなんとか維持する機能があったものの(恥を忍んでと書いたのはこれらのシステムを私は知らなかったからです)、明治期になってからはそれがなくなり高利貸しなど貸主が裁判所に申し立てれば容赦なく執行・整理が行われ土地を失う農民が増えたことなども述べられています。加えて西南の役の戦費調達のための不換紙幣増発の影響によりインフレとなったあと、意図的に増税や緊縮財政を行い市場に溢れる不換紙幣の回収を図るのですがそれらが世界的な不況下でも行われていたことも秩父事件の要因の一つとして指摘しています。詳細は上記の本を読んでいただくとして経緯だけ述べると、明治維新のあとに制度が変化したあとに意図的な経済のハードランディングを目指した結果、秩父で困窮する農民が増え、その状況下で高利貸等に対して借金返済の猶予の提案および内務省へ雑収税の減少を求めることなどを主眼として秩父困民党が結成されます。困民党は当初は個別交渉を重ねたり警察などに高利貸しへの説諭を要請しますが断られ、その後蜂起に至ります。残念ながら(…残念ながら?)秩父困民党は鎮圧されてしまいます。なお名誉のために書くと軍律を定め統制がとれた蜂起であったようです。

金利と税は人の生活を左右するどころか歴史を動かすよなあ、という脳の回転の遅いてめえの感想は横に置いておくとして、上記の本を読んでいて個人的に唸ってしまったのは、徒党を組んで訴願による仁政の要求もできず武装蜂起もできないその後の農村についても触れられている点です。秩父事件以降は関東の武相地域では経済危機を乗り越えるために節倹(節約倹約)と勤労を県が奨励していることを紹介しています。結論から言えば「働けともかく浪費はするな貧困に備えよ」で、具体的には「冠婚葬祭を簡素にせよ」「棟上げ式では餅まくな」といった内容で(後者は平成ひと桁くらいまで多摩の私の住んでいた街では皆無で棟上げ式で餅を蒔く習慣を私は社会人になって愛知に行ってはじめて知った)、つまるところ、個人の努力でなんとかしろ、と県はいってるわけで。このことについて上記の本では

しかし先述したように、松方デフレは、政策上作り出されたものであった。そこでの困窮は個人のささやかな努力で乗り越えるのは不可能である。にもかかわらず、このような節倹法によって、貧困の原因が個の生活態度のように還元されるようになる。

P95(「民衆暴力」藤野裕子中公新書2020)

とひどくまっとうな指摘をしてて、 貧困の自己責任論は今にはじまったわけではないのだな、と知りました。

なお、上記の書は秩父事件だけを扱ったわけではありません。ほかにも武相困民党、新政反対一揆、日比谷打ち壊し、関東大震災における朝鮮人虐殺などを(特に差別意識や義侠心、および報復の恐怖などが重なりあって起きた事件について丹念に)追っています。

上記の書はすごく読み応えのある本でした。と同時に一つの歴史的事象を別の観点から知ることで付随することがより立体的な理解になる…と書けば当たり前の月並みなことを改めて思い知った気が。