「宇崎ちゃんは遊びたい」の桜井先輩から考える言語の意思疎通の不完全さ

去年の青ブタを東京ローカル局のMXで偶然視聴して以降、たまに夜に放映しているMXのアニメを視聴しています。いくらか前に「宇崎ちゃんは遊びたい」のチョコミントに関しての回について書いた記憶がありますが、録画していた直近の回の4話ほどを週末に消化しました。面白かったです、で済ませても良いのですが、もったいないのでちょっと書きます。すべての回を視聴してないので大きな口は叩けませんが、表題は「宇崎ちゃんは遊びたい」なものの実質は宇崎花という元水泳部の後輩に懐かれている桜井先輩の受難で、アバウトな説明としては常識的な桜井先輩が宇崎ちゃんに振りまわされながら話は進行します。

桜井先輩は猫を溺愛する点を除いては比較的常識人なのですが、言葉がいくらか足りないです。ある日、宇崎ちゃんに桜井先輩は電話をかけて「つきあってくれ」「おまえが必要だ」と熱く語り、呼び出された宇崎ちゃんが待ち合わせ場所へ行くと猫カフェへ連れて行かれて、1人では入れなかったから助かった、と宇崎ちゃんに感謝するのですが、呼び出された想定外の理由を知った宇崎ちゃんは桜井先輩に足蹴りを何度も喰らわします(「猫カフェと居酒屋で遊びたい」)。また、布団を汚してしまった宇崎ちゃんは恐縮しながら謝り桜井先輩は「酔った上でのことだろ」「少し布団を汚しただけだろ」「おまえはじめての経験だから仕方ないって」「なにもなかったことにしろ」とひたすらなだめつつそこが仙台駅前であるがゆえに白眼視される状況を作り出します(「二人で花火を見上げたい」)。そして宇崎ちゃんから布団代として預かったお金のお釣りを返却しにいった宇崎邸で宇崎ちゃんのお母さんに挨拶しつつ視線は宇崎ちゃんのお母さんのひざの上の猫にロックオンしてお母さんを前に「触りたい」「いつか抱いてみたい」とつぶやいてしまいあらぬ誤解を招きます(「宇崎月はときめきたい」)。詳細は原作かなんらかの方法で放送をごらんいただきたいのですけど、視聴中は(わたしはゲラなので)息ができないくらい腹を抱えて笑っていました。でもって私が視聴した「宇崎ちゃん」の何割かは、一部を省いてしまうことや事実であっても状況によっては意図した通りには伝わらないことなどの、言語の意思疎通の不完全さ・不自由さ・ままならなさがテーマの一つになってるような気がしています。表面上は喜劇ですが裏返せば悲劇かもしれません。悲劇ついでに補充して書くとバイト先の先輩に促されて桜井先輩は宇崎ちゃんの水着姿を誉めますがその結果照れた宇崎ちゃんにどつかれます(「夏だ!海だ!きもだめししたい!」)。

人間は意思疎通のために言語を獲得しつつもその言語の意思疎通がなぜままならなくなるのか?これ、桜井先輩だけの問題なのかな?とか謎な方向へ私が感想を書くと発展しますが、それは横に置いておくとして、宇崎ちゃんも桜井先輩も完全無欠ではないのでそれゆえに話がどう転がってゆくか予測できず目が放せず、コメディのアニメとしては今のところの感想としては毎回飽きません。

でもなんですが。

宇崎ちゃんは女子の部分が人より成長してしまった姿で描かれていて(同性からすごいものを見てしまった…という表情をされる)、その点についてのいくらかの演出もあります。コメディに突っ込むのは「真面目か!」と批難をうけそうで、かつ、頭が固いのかもしれませんが、その点は「ちょっとな…」と思っちまいました。