蕎麦湯に関する微妙な心理

蕎麦粉から打って蕎麦を自作するようなことはしませんが、市販の麺で作るときは夏は蕎麦の上にかつお節や刻んだネギを散らし、蕎麦つゆと大根おろしを合わせたものをぶっかけて喰うことがあります。大根おろしはまあまあめんどくさいですが、食はわりとすすみます。ただしこの喰い方だと蕎麦つゆをすべて皿の上にぶっかけるのと同等ですから蕎麦湯はしません。

さて、これから書くことはとてもくだらないことです(いつもくだらないことばかり書いていますが)。

埼玉の出かけた先でおそいお昼に蕎麦屋に入りました。はじめての場所ではじめての店で店内は清潔感はあるものの、いくらか足が良くないのかな?と感じさせる老齢の店主の男性が一人で切り盛りしてるようでした。関東は暑い日が続いていて外が暑かったので、二人ともざる蕎麦を頼んでいます(大根おろし系があったらそれを頼んでいたのですが残念ながらなかった)。しばらくして出てきた蕎麦は、蕎麦のほのかな甘みを感じさせもするとても美味しいものでした。店主がいつのまにか居なくなってて蕎麦はざる蕎麦だし蕎麦湯は一緒に出てこなかったので、もしかしてこれは蕎麦湯を用意してくれているパターンだろうかと(自分ではまず作らないので)ほのかに期待していたのですが、食べ終わっても蕎麦湯は出てきません。「蕎麦湯が欲しいんですけど」と声を出して催促するのも変だしなあ、と躊躇していたら、奥から出てきた店主の男性があたたかい淹れたてのお茶を持ってきてくれました。あ、これ、蕎麦湯がないパターンだ、と悟ってつとめて平静に「ありがとうございます」と礼を述べ、そのあとお茶を飲み干し(このお茶も美味しかった)、頃合いを見計らって「ごちそうさま」と会計して店を出たのですが。

厨房をチラチラ見ていたのに気が付いていたのかもしくは同じく蕎麦湯を期待していたのか、蕎麦湯でなくて残念だったな、と車に戻ってから云われはして、でも蕎麦は美味かった、と噛み合わずに応じたものの、たしかに蕎麦湯がないのが残念といえば残念でした。なんだろ、無くてもいいものなのですが、蕎麦屋で蕎麦湯ってどこか期待しちまいませんかね。

いま関東ではどこもコロナに警戒しマスクの着用を呼びかけているのですが出かけた秩父では

狛犬にマスクはムリなので手ぬぐいをしていました。ただ、なんだろ、神罰を恐れずに言うと

ギャングみたいだな、と思わないでもなかったり。