保守的な舌

これから書くことは匿名を奇貨として書く、鼻先で一笑に付されそうなことです。

私は社会人になって一番最初に大阪に放り込まれてます。うどんのつゆの淡さであるとかの食文化は東京出身者には戸惑うことがあったのですが、わりとはやい段階で違和感を感じたのがご飯です。ご飯が甘く感じられました。寮の食事だけかな?と最初は思っていたのですが弁当や外食のごはんとかも常にではないけど甘いことがありました。甘いといっても食べれないことはないけど、東京よりほんのわずかに甘いかな?・でも副菜主菜を食べ終わった後ご飯が茶わんの中で余ってしまうとそれだけを喰うのがちょっと、という程度です。私の違和感はおそらく、東京出身の私が食べてきたご飯と、大阪で好まれるご飯が、異なるものであるせいだと思われます。もちろん東京と大阪で流通している銘柄の差などを正確に調べたわけではないので推測で、わたしの思い過ごしかもしれないです。でも、ドラマなどで都会に出た息子に親が田舎からお米を送ってきて息子が喜ぶシーンなどがあるのですが、その意味もそのときうっすら理解しました。

話を戻します。

寮でも外でも周囲の人はみんな大阪のお米を甘いと云わずに食べていましたから、違和感を感じたのはたぶんわたしだけです。でも印象に残った体験で、美味しいとかうまいって果たしてなんだろうと考えさせられるきっかけのひとつです。ただ、食の都・食い倒れの町・天下の台所たる大阪で、「あの、ご飯が美味しくなくはないけど…変じゃないですか?」と言おうものなら十中八九「なにいうとんじゃワレ」となるのは必須なので・他人が良いと思うものをむやみに否定するのは良くないかもと考えて、大阪にいる間はずっと黙っていましたし、いまでも京阪神に行ってご飯に違和感を持っても、絶対云いません。

それらの体験から、もしかしてなんすが、食べ物が美味しいと感じる要素のひとつは、ずっと食べてきた味を舌が覚えてることによる舌の慣れとそれが良いとしちまう思い込みなのではないかな、という仮説を持っています。

はてな今週のお題が推し米で、私は311以降宮城産ひとめぼれをなるべく継続して買っています。舌が慣れてるので、いまのところ推しは宮城産ひとめぼれです。柔らかくて冷めてもイけます。でも誰しも慣れた味がいちばんだと思うので・舌は保守的なので、他人に積極的には推しません。

さらに空気を読まずに書きます。裕福な家庭に育ったわけではないものの死んだ両親は不思議と食にこだわりがあり、米屋でどういう米を買っていたかはいまとなってはわからないものの、電気炊飯器が普及していても90年代半ばあたりまではずっとガス釜でご飯を炊いていました。つまりガス釜のごはんで私は育っています。両親が忙しかったので小学生の時分から台所に入ることを許されていて、研いだ米を押さえつけるように手をひらいて置き、くるぶしのあたりまで水を補給してセットする、ということをよくやっていました。そういったノスタルジーを横に置いておくとして、はてな今週のお題のスポンサー↓を知りつつ空気を読まないで語ると、電気炊飯器には出せない独特の甘さとふっくらさ、および冷めてもそこそこ美味しい点で、ガス釜のご飯も推しです。

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