身についた速度

私が大学生だった平成ひと桁の頃にはすでに駅のエスカレータの片側を空ける習慣というのがあったはずです。なんでそんなことを覚えてるかと云えばその頃、エスカレータの片側を空けない人が居てそのうしろに立っていた人に、「目の前の人に空けるようにあなたは要求すべきだ、なぜしないのか」という複雑な要求を別の人がして云いたいことだけ云って去っていったのを目撃したからです。片側を空けるという明示のないルールが世の中にはあるのかというのを知ったと同時に、人はおのれの期待する速度・身についた速度を害されると苛つくのではないか、という仮説を持つにいたります。仮説は二十数年経たいまでは知らず知らずに身についてて(もしくは隠れてたせっかちである性質が表に出てしまったかもしれなくて)、地下鉄からJRに乗り換える駅で、発車メロディが鳴ってるのに・空けてくれればそこをつかって追い越して駆け上がって乗れそうなのに、エスカレーターで二人横並びされるとイラッとしちまうことが無いわけではありません。発車しそうな電車が途中駅通過の通勤快速ならなおのこと、ってなんだろ、書けば書くほど書いてることが余裕のないケツの穴の小さい男っぽくなっちまうのですが。

ここで東京のJRや都営地下鉄などで「エスカレータで歩かずに止まろうキャンペーン」というのをやってて、事故が起きてはいるようで・私がいままで偶然事故に出会わなかっただけなのかもしれぬと察して階段をなるべく使うようにしてます。でも、つい乗ってしまったエスカレータでは空いてるほうへ行き駆け降りそう・駆け上がりそうになる誘惑にかられそのたびにこらえるのですが、まだ慣れません。身についた速度はなかなか落とせなかったり。