軽薄な人間の30年

平成がはじまった頃は十代半ばで、それから30年を経ていま四十半ばです。はてな今週のお題は「平成を振り返る」なのですが、ひとことで言ってしまえば想定外の連続です。いまから三十年前には四十過ぎてたらマトモな大人になってるはず、という希望的観測がありましたが残念ながら、年に数回は炊飯器をセットしておきながら電源を入れ忘れる程度に・年に数回前夜にメガネを定位置に置かず朝になってどこに置いたかを忘れてメガネメガネ…と捜索する程度に、どこかぬけてるおっさんになり果てて想定していたマトモな大人にはなっていません。それ以外にも、この30年の間に両親が病気で居なくなるとは思っていませんでしたし、お年玉を預けていた拓銀が倒産するとは思いませんでしたし、文章はそもそも読むだけだったのに誰が読むとは知れぬ文章をつらつら書くようになるとは思いませんでしたし、品のないことを書くと童貞はともかく処女を無くすとは思っていませんでした(これを書いているのは性的マイノリティに属する奴です)。ほんと想定外のことが多かったです。

想定外のことが多かった≒想定できなかったことが多かった、ということを告白したうえで、続けます。

平成の間、ほぼ忘れなかった曲にB'zの曲の「孤独のRunaway」というのがあります。おそらく発売は平成2年くらいで、おそらく忽然と姿を消した人間をモチーフにした曲なのですが、そんな中に

JUST RUN AWAY止めないでよ後悔は少なめのMY LIFE
B'z「孤独のRunaway」

ってのがあって、逃げ出すことはできないのですが、何度も聴いてるうちに曲中の「後悔は少なめ」というのをひとつの判断材料にするようになっています。想定できなかったことが多かったこの30年で、未来のことなんてまず霧がかかっててそんなに簡単に見通せませんでした。先の読めない状況を前にしたとき複数の選択肢からある選択をせざるを得なかったとき、その選択した選択肢が妥当かどうかは即座に判断しにくく、また選択しなかったほうの選択肢を仮に選択してからといって事態がうまくいく保証は必ずしもあるわけでなく、どっちにころんでも精神の安寧が訪れることはあまりあるわけではありません。ですから私は選択肢を選ぶとき、「後悔は少なめ」なほう、という軸でなるべく判断してます。平成の間、特にこの20年はずっとそんなことをしてきました。その結果、恥をかいたり余計な苦労をしたり、なんてこともしています。でも後悔はほとんどありません。

曲中、

愛を殴ってみよう、義理を蹴飛ばしてみよう

B'z「孤独のRunaway」

 ってのがあって、たとえば愛ゆえなのか「ここでことを荒立てないほうがあなたのため」といわれても中途半端に妥協してしまうとあとで後悔することになるかもと考えて蹴飛ばして妥協しなかったり、同じ後悔をするのならあとで「なぜしなかったのかという後悔」をするより「してしまった後悔」のほうが絶対良いはずと確信して義理を蹴飛ばしちまうけど前任者のしたことを是認すると後悔すると考えてひっくり返したこともあります。そんなふうにロックの曲に影響されちまってる軽薄な人間です。もちろん、失敗したり判断が甘かったことを恥じることはあります。でもあまり後悔していないのです。

おのれの中でこびりついたことは、新しい元号の世の中になったところでたぶんなにも変わりません。もっとも小指を柱にぶつけるたびに注意深い人間にならないとな、と痛みを堪えながら思うので、そこらへんは変えるつもりはあるのですが。