おのれをかたちづくるもの(一部修正)

万人受けしないくだらない話を書きます。
なんべんか書いていますが私は女性の柔らかい胸に顔をうずめたこともあったりしました。しかし同性に振り向いて欲しいと思うような感情を持つようにもいつの間にかなってて平らな胸に耳を当てて心臓の音を聴くようになっちまい、いまに至ります。30代くらいまでもしかして女性と結婚する可能性があるかもしれないとおもっていました。しかしweb上の年下のリスペクトしている友人に「でも楠田(仮)さん、男が欲しくなったらどうするの」と以前問われて、考えてなかったので咄嗟に返事が思いつかず、焦ったことがあります。乳首に無精ひげがあたるのが好きなのですが、女性の顔にはそれがありません。そこに入れられるのも大変だけどそれなりに相手の余裕のない顔がみれる期待しちまう作業があるのですが、女性には私の中に入るそれがありません。それらナシでこれから我慢できるか、と云われればたぶんNOです。ああ、そうか、知らず知らずのうちに付き合った相手がおのれを形成していたんだな、とそのとき思い知らされました。もちろんベッドの上のことだけではなくて、食べ物の好き嫌いの放置をそのまま放置することを良しとしないところがあったので卵を喰わそうと良い意味で調教され、生卵はまだダメだけどデミグラのオムライスを喰えるようにはなってます。
相変わらず話があちこち飛んで恐縮なんすが、何年か前に中村梅雀丈をホストに池波正太郎の作品にまつわる料理に関する特番があって、そこに当時東大にいたロバート・キャンベル教授が出演していました。池波作品や江戸に関することを紹介していたのですが機知に富んだ会話が面白く、つい手を止めて見いっちまってました。以降、キャンベル先生に興味を持ってHPを見つけてブログを読んでもいました。12日に更新されてて同性愛は趣味という与党議員の発言について批判してて同性のパートナーがいることもさらっと書かれていました。15日には毎日東京版にも記事が出ていて、でもって、キャンベル先生のそれらの言葉でいちばん腑に落ちたのは「(恋愛や性欲の方向≒性的指向が)自分の中に通底する芯みたいなもの」という言葉です。
自己とはなんなのか、というと答えは難しいのですが、でもたしかに「自分の中に通底する芯」のひとつとして同性とつきあってきた・つきあっていることが、良い面や悪い面も含めいま現在のおのれをを形成しているよなあ、とキャンベル先生の言葉で改めて思い知らされた気が。