合理的でない国

「ゆく人なしに」という小説を高校生の頃に読んで辻井喬という作家に興味がずっとあって既刊はほぼ読んでいました(既に亡くなられています)。辻井喬は詩人・小説家・文学者としての名前で西友などの経営者としては堤清二という名前です。経営者堤清二として体験したことを辻井喬の名前で口述してることもありました。上野千鶴子さんとの対談で「ポスト消費社会の行方」という本があるのですが、日本の食文化についても触れられてて、興味深いことが書いてありました。

辻井喬:日本のスーパーの食品売り場では生鮮食品が半分を占めていて驚くほど高額です。これはアメリカの小売業者もヨーロッパの小売業者も理解できないことなんですね。それでも日本の消費者はわざわざ高い生鮮食品を好む。私はこれを、昔はシアーズ・ローバックに、それからいまのウォルマートに何度も云いましたがなかなか理解してもらえない
上野千鶴子:ああ、なるほど。
辻井喬:日本の食生活における生鮮食品の比率は、アメリカ人もヨーロッパ人も理解できないんです。そのうえ生物ですから、主婦が調理加工しなければならない。彼らは「そんな手間がかかる高いものを、どうして日本の消費者は食べるんだ」と聞く。「どうしてっていったって、日本はそういう食生活なんだよ」といっても「それは合理的でない」と主張する
「ポスト消費社会の行方」辻井喬上野千鶴子2008文春新書P243

銚子より東へ行ったことが無いのでアメリカのスーパーがどんなものかはてんでわからないです。が、思い当たるフシがあります。魚です。魚は私は価格より鮮度を気にします。多少高くてもやむを得ないと思っています。近所の西友は以前は鮮魚は仕入れた魚を捌いているのが売り場から確認できました(頼めば鯛のうろこ取りもお願いできた)。それがウォルマート西友に経営参加して「KY=カカクヤスク」のあたりからはいったん無くなって、たしかに安いけどすぐそばで捌いたわけではなさそうな魚が並ぶようになって、バカみたいな話かもしれませんが私は西友で魚を買うのを避けるようになってました(多少高くても店内で捌いてるのがわかる他店へ行った)。上記の言葉を借りれば値段より鮮度を気にする「理解できない」買い物をして、さらにそれをキッチンで調理する典型的な「合理的でない」消費者です。でもって魚に関してわたしにような「理解できない」「合理的でない」消費者はけっこういるはずです。さんざんけなしておいてなんですがウォルマート西友に経営参加してウォルマート流にチラシや特売を減らして毎日低価格のEDLPを目指し「KY=カカクヤスク」を掲げて良かったこともあります。ひとつは牛肉の低価格化です。ほんとに牛肉は安いです。
牛肉のほかワインなども外国からの輸入が増え、西友は以前に比べ安くなったのは確かです。安いだけではない無印良品が市民権を得たように日本では「安さ」が必ずしも商品を買う決定的な動機にはならないことに気がついたのか途中からは「ど生鮮」といって生鮮重視に舵を切ったものの遅きに失した感があります。それが証拠に大和郡山河内長野、小倉など西友はここ数年閉鎖する店舗がけっこうありました。たぶん他店に流れちまったのではないかと推測しています。
12日付でウォルマートが子会社である西友を手放す方向の旨の報道がありました。おそらくやはり日本は「理解できない」ところでビジネスをしてゆくうえで「合理的でない」ところだったのかもしれません。
西友が今後どうなってゆくか、というのも気になります(特に魚類)。でもって日本史を専攻しなかったので謎なのですが、米国の大企業が斬りこもうとして手こずった挙句手を引いた、生鮮食品に金を惜しまない+手間を惜しまない食文化は、どうして形成されたのだろうというのもちょっとだけ気になるのですけども。