母はがんであったのですが、抗がん剤の選択肢が尽きたあとに最後は髄膜にがんが転移していました。髄膜というのは脳を覆う被膜のようなもので、そこに転移するとなると放射線治療というのをシロウトは考えてしまうのですが、仮に放射線治療をしてしまうと植物状態になりかねないことを告げられ(でもなにもしないと2か月はもたない)、ぎりぎりまでいままでどうりの日常生活をすることを(父は他界していたので)母子で決めて緩和ケア以外は特にしませんでした。転移がわかってからしばらく経過したある夜に、私が勤務先から帰宅すると母はふと「数字の5にはどういう意味があるのか」ということを尋ねてきました。一瞬なにを云ってるのかわからず背中では冷や汗を流しながらも台所から小皿を1枚持ってきて、そのあと小皿を5枚重ねて横に置き差があることを説明し、ある分量の5倍を表示するのに皿を毎回重ねるのが大変だから記号として置き換えたのが5という文字、という説明をし、それで納得してもらえたので事なきを得ました。ドクタからがんが脳に転移すればが機能不全を起こしてゆくこと・せん妄といって物忘れがでること、などを告げられていたものの、いざ実際に目の当たりにするとけっこうショックでした。腹にドスンと衝撃を受けたあとのような違和感を感じたことを今でも覚えています。ただがんの不思議なところなのですが、しばらくするいつもと同じに戻るのです。その日はそれ以外に特に変わったことはありませんでした。それからそれほど日を置かずに緩和ケア病棟に入ることになり、今度は勤務先から寄った息子である私が誰だかわからないようなことが起きてきました。さすがに涙目になったのですが、その十分後には名前を呼んでさっき泣いていたけどもう大人なんだから泣くものじゃないの、と叱られちまうのです。もうなにがなんだかわかりません。目の前にいるのは母なのですが、脳が機能不全になってしまった母は以前の母ではありません。でもしばらくすると以前の母に戻ります。そういうことが緩和病棟の中で何度かありました。せめてもの救いは最後に会話したのがせん妄状態ではないときであったことぐらいです。がんに対して打つべき手はもうないので日毎に意識がはっきりしない時間がどんどん長くなり、息を引き取ったんすが。
脳というものが機能不全になるとどうなるのかということの一例をがんの髄膜転移で知ったのですが・それも数週間レベルの話で、あまりおおそれたことは云えないのですが、脳の病気を抱えた家族がいるというのはけっこう消耗するのではないかと想像します。報道を知って願わくば小室さんの奥さんの症状がちょっとでも快方に向かえばなあ、なんてことを考えちまったのですが。