数字はうそをつきません。数字を追ってるうちに「なんか変だぞ」というようなことがあって、上役と相談しながら片っ端から資料を読み込んで全体像をつかんでから「これってどういうことですか?」というようなことをやったことがあります。そのとき当事者の態度からはなにかいいにくいことをしてる人というのは周囲が見えなくなるものなのだ、というのを思い知りました。
なにか他人にばれたらまずいことをしている当事者におそらくあるのは「周囲にはわからないであろう」という発想・錯覚です。周囲がわからないであろうと思うからこそどんどんエスカレートします。でも犯罪が起きるとよく加害者に「闇」がある、という言葉があふれます。犯罪者には闇があって、故に犯罪が起きる、という方が理解しやすいからです。その言葉を聞くたびに「闇」というあまりにも詩的な言葉が理解できず( ゚д゚)ポカーンとしてしまうのですが、人に闇があるという考え方って、危険なんじゃないすかね。「闇」というものがあると平気で犯罪に手を染めてしまう、というほど人は簡単かつ単純ではない気が。
ここらへん、性格から犯罪が生起されるわけでもなく犯罪者の素質がある人間が犯罪を起こすものでもない、と教え込まれたせいもあります。「バレないと思ったら人というのは間違ったことに手を染めやすいのではないか」という仮説をもってるのですが、もちろん確信はありません。
でもって巧く言葉にできないのですが「おのれのしていることがどういうことか判断できない」ことを「闇」という言葉で済ましてしまう世の中に猛烈な違和感があったりします。