崎陽軒のこと1

弁当の話をちょっと続けます。
母が入院していた病院の緩和ケアの病棟の食事は特に制限がありませんでした。病院食は選択式で、あらかじめ献立を配っておいて好きなほうを選べるシステムで、病院の名誉のために書いておくとけっこう美味しかったらしいのですが、いかんせん「がん」が進行してしまっていて食べきることはなく残すことが多くなってきてました。でもって入院してしばらく経ったある日の夜に、私は大丸で買ってきた自分用の崎陽軒の弁当をもって病室にいました。母は病院食をやはりすべては食べれなかったものの夕食は終わっていて、なぜか私のシウマイ弁当ではない崎陽軒の弁当をみつけて「どういう弁当?」と興味を示してきたのでふたを開けて渡し、中身を確認してから栗を箸でつまんで「これちょうだい」というので食欲があるならと思ってそのまま渡し、栗を食べた母は満足気にしていました。既に髄膜ほかに転移があって長くはないと知りつつも、ちょっとでも食欲が出るというのは子としてはまだダイジョウブなのかな、と思える小さな慶事だったんすけども。
ただそれが最後のまともな固形物になってしまいました。
翌日からはどんどん会話もままならぬ状況になってしまい、事実上の最後の親子の晩餐が崎陽軒の弁当の栗です。次の日がどうなるかもわからないのが普通で予知なんかできっこないのですけど、もうちょっとまともな弁当を買えばよかったかな、といまでも崎陽軒の前を通るとちらっと思い出すのですが。