塩屋

井の頭池というのが神田川の上流というか東京の多摩地区にあります。そこに弁財天があるのですが井の頭に男女がデートで行くと弁財天が嫉妬して別れさすという噂がありました。神様は嫉妬するということを都民の何割かは弁財天で知るのですが、噂を知りつつも男女ではないデートで何回も行ってます。夏のある夜に井の頭で涼んでいて「ひざを貸せ」と言われて(ほぼ筋肉ですから)「やっぱ堅い」といわれ「だったら(ひざを揺らして)落とすぞ」と脅したもののそこまではせず、そのときはしばらくひざを貸してました。ベンチは池に向かって設置されてますから、たぶんばれてません(そもそも人がそんなにいない)。野郎にひざ枕した最初の記憶です。
その夏に大江千里さんの「塩屋」というのを聴きました。その中に

この場所だけは彼氏とくるなよと大人げないこと云う僕がいやだよ
大江千里「塩屋」

ってあるのですが、そのとき咄嗟に思い出したのがひざを貸した夏の夜の井の頭です。「そこでなにをしたか」という二人しか知らないことがデートの醍醐味のはずなのでその記憶の共有をほかのだれかと上書きしてくれるな、ほかの誰かと来てくれるな、という子供っぽくなおかつ独占欲的なところが、とても腑に落ちました。ひどくよくわかるのです。もっとも「別のひととは来ないでね」とかそんなことは強要すべきことではないし、おのれの子供っぽさの証明になっちまうので内心はともかく云ったことはありません。この先も云うつもりはありません。ついでに書いておくと大江さんは曲中で彼氏とか彼女という言葉をつかってるので男女間のことを歌ってると思われます。ですから野郎2人で行ったデートを引き合いにその胸中がわかると感じるのは明らかに誤読です。はてな今週のお題が「私の『夏うた』」なのですが、「塩屋」は神戸の海辺の町を歌っていてしかし夏の歌かといわれると厳しいかもしれません。でも私の中では「塩屋」と井の頭がリンクしてるせいで夏のうたであったり。
大江さんついでに夏っぽいうたについて書いておくと大学生の頃にポンキッキーズで「夏休みはやっぱり、短い」と歌っていました。歌詞の詳細はともかく夏も週5でバイトしてましたからあまり長い夏休みも取れず「夏休みはやっぱり、短い」結論については「まったくだ」と思いました。社会人になってもあんまり長い休みってとれてないので20年以上経っても「夏休みはやっぱり、短い」という歌詞を聴くといまでも「まったくだ」と思ってしまうところが悲しかったり。