怖さのこと

はてなのidをとってダイアリをつけるまで、私にとって人付き合いというのは長い間「顔見知り≒親密に近い」「顔見知りでない≒疎遠な人」というものでした。つまるところ顔を見てのコミュニケーションでした。ところがネットの世界の足を踏み入れ、ダイアリを持つと違う世界がそこにはありました。顔をつき合わすというのとは関係なく
「顔見知りでないけど互いに意見交換ができて手にとるようにその考えや行動が理解できる親密な人(と私が勝手に思い込んでる場合を含む)」
というカテゴリーと、ブログを閲覧することで
「顔見知りでもなければ親密でもないけどおよそ相手が何を考えてるかは手に取るようにわかる(気がしてる)他人」
というカテゴリーができました。その新たに加わった二つのカテゴリーのネット上の知り合いと他人は個人的には極めて不思議な存在で、特に前者は意思疎通を続けているとしばらくすると妙な連帯感・親近感が出てきます。迷ったことがないわけではないものの私は実生活ではおのれの性を相変わらず表沙汰にしてないのでオフ会にもいきませんし、親密な人と会うつもりもありません。君子かどうかは別として「交わりは、淡きこと水の若く」なんすけど。しかし淡き水の交わりであったとしてもWebのおかげで視野は広がった感があります。ただトラブルがあったりすると淡いなりにやきもきしたりってのがありますし、更新が途絶えたり音信不通になってしまったりってなことがあると、淡いなりに若干のさびしさはあるのですが。
ダイアリを設置して顔見知り相手に書くわけではないということに気がついたとき匿名が確保できるのでいろいろなことを書けることにも気がつきました。以降なるべく正確性に留意しながら書き続けています。でもって私が読んでいるダイアリ等が実際の顔見知りではないのと同じで、ここを読んでいる人が誰なのかってのはまったくわかりません(カウンタはつけてあるが検索語を知るためにしか使っていない)。Webで文章を公開することは、公園で大道芸をやってみてもらうのに・公園でトランペットを吹いて聴いてもらうのに似てるかなと思ってた時期があるのですが、それらが顔が見えるのに対してこちらは顔なんて見えません。黙って去って行った人もいるだろうし、バカだねーと思いながら眺めてる人もいるだろうことは想像がつくわけで。でもって誰がどうみてるかわからない怖さってのがちょっとあります。
はてな今週のお題が「ブログ川柳」なんすが、それにのっかって怖さを表現すると
「オッサンをのぞくあなたはどこの誰?」
なんすが(書いてるのは四十路のおっさんです)。
もっとも(匿名であるのでかけるのですが)見ず知らずの人にみられることは、ちょっと快感がないわけでもなかったり。