ひとりメシのこと

父も母もすでにこの世にはいません。母はがんでぎりぎりまで普段の生活を送ったあとに最期は都内の緩和ケア病棟のある病院にいました。がんと知ってからいつかこういう日が来ると覚悟は決めていたもののいざ実際にそうなってくると覚悟が足らなかったのか食欲があるかっていったらちっともそんなものはありませんでした。でもドクタに促されてとにかく何か食おうとし、地下にある冷凍米飯の自販機をよく頼りにしていていました。400円くらい投入してボタンを押して90秒後にはホカホカの焼きおにぎりが出てきててそれをよく夜更けや早朝にひとりで食べていました。食欲がなくてもなんとか喰えたのは焼きおにぎりが湯気が出ていて温かいものだったからでしょう。以降、どんなに食欲がなくても湯気が出てたら喰える・温かいものは喰えると身体でより理解するようになりました。「ひとりメシ」っていう言葉で強烈に思い起こすのはその病院の地下の焼きおにぎりですって決して明るくないてめえの事情はともかく。
今週のお題が「ひとりメシ」です。「気が向いた時に好きなものを自由に飲み食いする」のが「ひとり飯の楽しさ」ということらしいのですが、つまらないやつなので好きなものを自由に飲み食いするという欲求があんまりありません。ついでに書いておくとつまらないうえに私は決して強くはない人間でめんどくさいなにかしらの課題に取り組むときに「神戸屋のパンを食べる」とかニンジンを設定しておき、ニンジンとともに乗り越えるということをしてきました。そうそうしょっちゅうではないもののニンジンのひとつが「日本橋丸善でハヤシを喰うこと」であった時期があります。ひとりメシは2丁目の日本橋丸善のカフェでハヤシってのがいちばん回数が多いかも。あたたかいものは正義でまだがんばれるなってのがでてきますし、出来立てのハヤシは幸福感満点です。丸善の名誉のために書いておきますがもちろんハヤシ以外もはずれはありません。もっとも十数回以上行ってるのにサラダのドレッシングの隠し味がなんであるのか、いまだに突き止められませんが。
なんか書いてて「ひとりメシの楽しさ」というのとは微妙に異なってしまったかもなんすけど喰うということは生きることと同じで楽しいことばかりとは限らないような気がしてならんかったり。