「えらそうなことを云う人」の対策

世の中に「えらそうなことを云う人」というのは居てテキトーに聞き流しながらたまになんでこの人はえらそうにしてるのだろう・そんなふうに考えるのだろう、と観察することがあるのですが、根っこのひとつに「正解あてゲームで正解を知ってる優越感」があるのかなあ、と推測したことがあります。その人が信じている正解があってそれにたどり着けてない人をみると「まだまだだね」的な優越感から上から目線になってしまうようで。根っこには「答えを知ってる俺すごいでしょ」的なところがあって、内心どこかほめてもらいたいのかなあ、と。
厄介なのは解がひとつとは限らないときで、過去の成功体験なりこうやって巧くいったという成功体験を知ってる(かつ、それを捨てきれない)人は「正解と思しきもの」を強いるのだけど、過去の成功がそのまま持続するなんてことはあんまりなくて過去に成功した方法でなんとかなると思えない状況下のときで、その通りやったら失敗したらこちらの個人の属性のせいになりかねない。別の最適解を模索してるとなぜ従わないのか的なことになる。うまくゆくと黙ってしまうのだけど、結果がわかるまでがキツかったり。
「えらそうなことを云う人に対する対策」なんてのを考えたとしてもその人の「巧くいった」という成功体験は崩せないことが多く云うだけ無駄で、厄介なんすが。テキトーに聞き流すしかないのかなあ、と。