不安と信仰

遠藤周作さんの晩年の作品のひとつに「夫婦の一日」というのがあります。あるカソリックの夫婦にあんまりよくないことが立て続けにおきてしまい、占い師に奥さんがそそのかされて鳥取に砂と水を取りにゆく、というお話です。記憶に間違えなければカソリックでは占いはNGのはずで、でも行ってしまうのです。最後には「これでいい」と思ってしまう。手許にないので確信が持てないのですが・もしかしたら間違ってるかもですが、小説の中で、信仰でつながりのある三浦朱門さんと思しき人物が鳥取行きを必ずしもいい顔をしなかったという記憶があります。キリスト教の信仰を持つ人の、キリスト教以外に対しての厳しさのある一面をその作品で改めて知りました。
けっこう印象に残った作品で、私の母は仏教徒でしかし縁あってキリスト教系の病院の緩和病棟に入院していました。この短編がどうしてもひっかかり、信仰の問題は重いと考えて・相談しておこうと考えて院内でそれとなく「言いにくいことなのですが」と宗派を告げて受け入れてもらえるか相談したことがあります。ダイジョウブですよって肩をたたかれたのですがっててめえの話はともかく。
訃報欄に三浦朱門さんの名前とみつけてそんなまとまりのない過去のことを思い起こしていたのですが、信仰とはなにかってのはっていうと題が重すぎるのですが、個人的に遠藤周作さんのこの短編の主題はいまでも喉にひっかかった小骨のようなもので、不安から救うものが信仰とは限らないとき不安を救うものが信仰と反するときどうすべきなのか、ってのは読んでから20年近く経つのですがいまだによくわからなかったり。