いつ読んだかをメモも記憶もしていないのだけど、はてなのトップページではてなブログを開設してどういうテクニックで読者を200人あつめたか、というのを紹介してる記事があって、それははてなでは普通のことかもしれないのだけど、たくさんの人に読んでもらおうという意識があんまりないほうからすると、おそらくおれは異質なのかもしれないなーという自覚が、読んだときにできました。はてなブログには誰が読者かわかる読者ボタン機能があるのですが、はてなダイアリーには読者ボタンってのがないので誰が読んでるかもわかりません。定期的に読んでもらってる人が何人いるかなんて考えたこともありません。そもそも誰が読んでるかなんて知りたいとはおもわないのと、なんだかミクシみたいなシステムだなあと思って読者ボタンのあるはてなブログにも移っていません。ミクシは慣れることができなくて絶賛放置中です。
10年以上前にはじめてネットを閲覧していたころに検索でたどり着いてみていた善意で置かれたサイトの姿勢にいつのまにか影響を受けていて、Webで書く以上はどこかで他人が参考にしそうなことを書かねばならないという意識があって、ゆえに意図的に途中から家族法に関する記事などを入れるようにしてて、たくさん読んでもらおうという意識より正確さとかを主に考えていました。検索でたどり着いて読んで役に立ったならそれでいっかくらいのレベルで(大学の授業などがある時期は実際検索が多い)書いています。もうひとつ途中から本名でない名前でしか書けないことを書こうと決めてバカにされそうなお上品でない記事も書いているのでたくさんの人に読んでもらうと都合が悪いってのもありますがって、それはさておき。
たくさんの人に読んでもらいたいわけではないのに根っこの部分で貴様はなんで書くのか、って云ったら単純です。
書くことをしなくなることの最大の問題点は、考えること自体が減ることです。書く内容を考えるということは文章を構築することで、わたしのような文章が巧くない・頭がとっちらかってる人間には楽な作業ではないです。楽な作業ではないものの、考えて文章構築という面倒なことを止めたらおそらく、「他人に判るように書く」ということについてちょっとは利口になったのがバカに戻るわけで、それだけは避けたいからにすぎません。
はてな今週のお題が「ことし印象に残った記事」なんすが、それをかこうとしていつものようにずれちまいました。