人というのはなぜか自分たちと違う種類の人間というのを意識すると、二つに分けてある一方の人を人間扱いしなくなります。いちばんわかりやすいのは顔が絶世の美男・絶世の美女でない場合、人は顔じゃないよハートだよとか、他人を否定しはじめやすくなります。人間ってそういう生き物のようなのですが、でもほんとは差異はあっても同じ人間であったりします。
マクドのチキンナゲットの広告で「ゲームに負けた罰として同性同士がキスをする」というのがでてきました。当該CMは「同性同士のキス」を「笑ってもいい」って視聴してるこちらは思ってしまう可能性が高いような作りになっています。製作者の意図はどうあったのか謎ですが、結果として根っこにあるのはそこにいる人を「笑う対象」にしてしまってるわけで、その笑ってもいい対象に「同性同士のキス」が入ること・刷り込まれることに危惧を覚えます。もうひとつ「同性同士のキス」≒笑っていい≒同性愛者は笑ってもいい自分たちと違う種別、っていうふうになるのが怖いのです。特に未成年に一定の影響力があるであろうマクドの名で流されるとしんどいなあ、と。
なんでこんなことを書くか、っていったらやはりテレビの影響ってあると思うからです。一度たりとて本放送は観てないのですが「ストップひばりくん」というのが昔あって歌詞だけは知っていて、「カラーテレビにしたって色はいろいろあるでしょ男と女にしたって色はいろいろあるのよ」ってのとか「神様のいたずらと思えば済むこと」ってのを耳にしていたので、その時は当事者になるかどうかは別として、そういうのがあるのだ、というのを刷り込みとして知っていたところがありますっててめえのことはともかく。
もちろん、マクドのCMは絵コンテの段階では深い意図はなかったのではないか、とは思います。でも結果として「ちょっとなあ」という出来というか。