未熟化する社会(一部加筆)

ある程度の男女経験があるんすが、裸になったとき未知の常識ってのにぶつかったことがあります。私の身体には思春期以降下半身の正面の一部だけ密林があります。剃っておいたほうがいいかもよ、というそれとなく半分冗談半分真面目に忠告を受けたことがあります。密林が無いわけでもないけどそこは深い密林というわけではなく、いわれた意味が判らないでいると、見た目の話と、相手とはじめてのときはその相手が誰と寝てるのかわからないわけで、密林にしらみがいることがあるのでそこをナチュラルにせず剃っておいたほうが良いという解説でした。その説になんとなく説得力があったのはビデオです。たしかに不特定多数と寝る可能のせいの高い男優さんに毛はあんまりありません。以降、下半身の密林に触ったことのある人になんとなく話したことはあるんすが人によってさまざまで、たくさんあるほうが情が深いはずだと断言する人もいます。でもってそのアドバイスを受けたとき意思というか考え方ひとつで何人もの人と寝ることができるのだ、ということに気がついたのですが。
でもって不特定多数と寝るということに関して抵抗がある人とない人がいます。不特定多数の人と寝るということがなぜいけないのか、というと実は答えがありません。私は悲しむであろう人がいるのでいまは「しない」です。悲しむ人がいなくて、「たのしませてあげてもいいな」という人が何人もいたら、ブレーキが無かったら千人斬りでもしてたかもしれません。体内に感じる異物感が幸福感に感じる時があって、それをいっときでもいいから追い求めることがどこが悪いのか、といったら答えがないのです。しかし、不特定多数の人と寝て得ることができるものといえば一時の幸福でしかないわけで、それに気がついたのと、何人も相手したやつを相手にしてくれるだろうかという不安がでてきて≒人間関係が継続できないとみられるのが不安になって、で「悲しむ」人が居なくても・居ないときでも、不特定多数の人と寝るということはあんまりしなくなりました(でも揺らぐことはあった)。アプローチしてきた人と寝ても、その人と続けようとしてきたところがありますっててめえのことはともかく。くだらないことを書くと3Pというのも経験ありません。誘われたこともないです。前から後ろから二本刺しされてるおのれの姿というのを想像すると興奮しないわけではありません。経験しておけば良かったかな、というのもないわけではありません。でもそれって、特定の人との関係を決めることができない、ということの裏返しでもあったりします。それがいいことかどうかというのは繰り返しになりますが判断が人によって異なります。ただ一つ言えることは、特定の誰かと関係を深めることができない、というのはその人は未熟ととられかねないってのに尽きます。
不特定多数の人と寝ることが特定の属性のセクシャルマイノリティに多く、それがそのうち明らかになれば差別につながるのではないか、って要約すればそんなのがはてなにあって、でも(それが属性に対する差別にほんとにつながるのかどうかという点があるのですがそれは横に置いておくとして)性というのは多様で、不特定多数と経験してないセクシャルマイノリティもおそらく居るはずなので「それはどうかな」と思っちまったり。もっともゲイタウンと関係ないところに生きてるのでいまいち自信がありませんが。
もし特定の属性のセクシャルマイノリティが不特定多数と寝てることが多い、ということが事実であったとして、梅毒の流行の兆し、なんてのを報道で知ると、特定の誰かと関係を深めることができない、というのはセクシャルマイノリティだけの問題なのか、という気がしてならんのです。社会全体がもしかしたら、未熟な方向へ全速力で向かってるのではないか、なんて誇大妄想的なことを考えちまうのですが。