頭を下げることというのはわたしは苦ではなくて、なんのことはない、頭を下げることで目的が遂行できるのならば・その先に欲しいものがあるのならば、わりと頭を下げてしまうことがあります。協力を得るためであったり、いろいろあるんすが。そのかわり納得しない限りあんまり頭をさげません。変に意地をはったりすることがありますっててめえのことはともかく。SMAPの5人組が頭を下げているのをニュースで見て、ああこの人たちはまだ、したいことがあってそれが5人でいることなのかな、ってのは推測できました。
なにか失点・トラブルがあったとき、そのときに「頭を下げる」というのは一時的には効果的な方法であります。どうオトシマエつけるんだよ、っていうときにオトシマエが頭を下げることでチャラになる場合のみ有効です。問題はチャラにならなかったときなんすが、チャラにならなくてもでも「頭を下げる」というのはでかいことで、頭を下げられたほうは「しょうがないかな」ってなってしまうのですが、そこで置き去りにされがちなのは「トラブルはなぜ起きたか」です。そこでその「なぜトラブルは起きたか」ってのを仮に置き去りにしてしまうと、似たような失点は起きかねないんすけど、頭を下げることで上下関係ができちまい、そのことは当事者は・周囲は云いにくくなっちまうところがあったりします。チャラになってなくて事態が改善してないと上下関係が強固にできてしまっただけの一層いばらの道になってしまいかねないんすけど、ダイジョウブなのかな、って何度めかの頭を下げてるところを観ながらつい思っちまいました。
知り合いでもなんでもないのになんでこんなにひっかかるのか謎なのですが、ここらへん同年代であるせいかもしれません。