本川越へ

西武新宿線ってのがあります。西武新宿から小平、所沢を経て本川越まで行きます。

写メは拝島行きですが、新宿からだと本川越は急行で1時間くらいのところです。本川越ってのは駅名で都市名は川越市といい、埼玉県にある城下町です。

その川越にあるのが喜多院(通称川越大師)です。徳川家とゆかりの深い天海僧正が居て、川越が大火に見舞われたとき喜多院も燃えてしまい、そのことを知った家光が住んでいた江戸城内の屋敷を喜多院与えてて、元家光の屋敷が燃えずに残っています。参詣のあとはそれを見学しました。

建物内の写真はNGなので庭園の写真で恐縮です。江戸城内から移築された家光の生まれた部屋なんてののほかに、家光使用の畳敷きのトイレがありました。トイレが微妙に広くて、落ち着かないような気がするのですが、落ち着く必要あるの?っていわれちまうと、ううんたしかに必要ないかな。

天井の高くない春日局の化粧の間とかもありました。江戸城に今はない大奥ってのはどんな感じなのか想像でしか語れませんが、「ああもしかして」と思える程度の雰囲気は残っていました。写真は化粧の間あたりから庭をみた図。

移動中ひとりになった途端にマイクを持った2人組に英語で話しかけられ、ああすいません、おれ東京の人間なんで、っていったら申し訳なさそうに謝られちまいました。お茶を買いに行ってもどってきていた上を通過する人は笑いを堪えてたんすが、ニックネームがデビなので、勘違いされたかもしれなくて、やむを得ないか。

時の鐘です。390年前の藩主が鐘つき堂をつくり、現存するのは大火のあと明治期につくられたものです。いまでも現役で川越の名物のひとつになってるようです。つか、みんなここで写真を撮ってるのが、なんかこう、壮観でした。

今回川越へ来たのが初めてで、ちゃんと書いておくと川越を扱ったブラタモリをみて、川越へ来た次第です。隣県である埼玉って知ってるようで知らないことがおおかったり。ブラタモリで知ったことのひとつに明治期の川越の大火のあと再建に際し、江戸東京の職人を呼び、江戸東京の耐火構造の建築物・蔵造りの商家を街中に建て、江戸東京に似た街並みとなったあと、江戸東京が関東大震災東京大空襲を経験して街並みが変化したあと、川越はそのままでいまでは小江戸と呼ばれるようになった、というのがあります。

いまさらっと書いちまったのですが明治期の川越は商業都市として資本の蓄積があったようで、いまでもけっこうな数の耐火構造の建築物が並んでいます。なにが特産だったか?というと答えに詰まるのですが川越唐桟っていう木綿をつかった織物の産地でもあります。

蔵というと倉庫のようなものを考えちまうのですが、蔵をそのまま店にしたような構造のもの。

別の店の写真ですが、いざ火事が起きれば観音扉をしめて火を通さないようにする構造です。単純なんだけど考えられた工夫にうなっちまうんすけど、それはともかく。

さらに別のタバコを商っていた店の中の階段です。木造平屋建ての建物に住んでいた時期が長かったので階段が珍しく撮った一枚。寝ぼけてたら踏み外しそうな階段があります。

タバコの商家の庭から撮りました。うなぎの寝床のような細長い敷地のうち道路に面してる部分は耐火の蔵造建築にしてあるのですけど、裏はそれほどいかめしくはありません。

うなぎの寝床の奥にはさらに蔵が複数。

川越には駄菓子横丁なんてのもあって、駄菓子に妙に惹かれちまいました。知らない街を地図を頼りに歩いてて、気温が上昇してたせいもあり若干バテたのですが、ちょっと楽しかったので後悔はしてなかったり。