シンガポールという国があります。隣接するマレーシアと連邦を組んでいましたが中華系住民が多いことから独立した国家となりました。資源の乏しい国ですが、いまはアジアの物流センター・金融センターとなり、日本からも多くの観光客が訪れる都市でもあります。
(記憶が不確かですがともかく)20年近く前にシンガポールで落書きなどをしたアメリカ人学生がいました。刑法的に器物損壊にあたるのでそのアメリカ人学生はシンガポールで裁判を受け、鞭打ちの刑に処せられています(当時のアメリカの大統領が介入をしようとして失敗した)。なんでそんなことを覚えてるかというと強烈な違和感があったからです。なぜ違和感があるかといえば日本の憲法が拷問および残虐な刑罰というのを禁止して鞭打ちというのは日本においてはないからです。落書き・器物損壊はよくないことですが鞭打ちはつり合いがとれていない気がしてならず、また体罰を置くことで法を守らせようとする、というのに違和感を覚えました。そもそも人は犬ではありません。私個人の話としては大学で道徳と刑罰との関係に興味を持ったきっかけでもあるのですがてめえのことはともかく。10年くらい前まではばれれば同性愛も鞭打ちでした。いまは同性愛に関しては私的に同意があれば罰せられない運用がなされてるだけで、法そのものは残っています。法が変わらず運用の問題ということはいつそれが変わるかわからない、不安定な状況にあります。同性愛に関係なく鞭打ち刑の存置については人権団体などから批判がありますがシンガポールは一切妥協していません。
ガムはシンガポールでは持ち込み禁止です。持ってると罰金か禁固刑です。よその国の人間の感覚からすると突拍子もないこの政策は、独立後リー・クアンユー元首相が実権を握っていた時代にガムの食べかすでのいたずらが多発してガムのシンガポール国内での販売所持が禁止になったからです(例外として口腔の健康に良いものやシュガーレスのものだけ薬屋で売ってる)。ガムの禁止ができたのは新聞のある程度が同一資本で人民行動党寄りであるのと、国会でもリー・クアンユーがいた人民行動党が強いせいもあります。いたずらが多発したから禁止ってのは高校の校則レベルの気がしないでもないのですが、実際のことであったりします。
リー・クアンユー元首相が実権を握っていた時代には経済発展を促進した一方で、産児制限を行い、多産の家族には逆累進的に税をかけ、さらにエスカレートして低学歴女性には不妊手術助成の制度を作り10年くらい前までは扶養者控除を含む高学歴女性だけの出産を奨励する制度を作る、ということを国家的にやってきました。私は税というのは人の生き方を左右するとこのブログで書いてるのですが、代表例がシンガポールです。肌の色ではなく学歴で区別する制度があるというのもなんかこう考えちまうのですがっておれはこどもをうめませんが。
日本は必要とされる以上に過度の重い刑罰はなく、そもそも法が市民の私生活に干渉してません。同性愛は日本では罰せられませんしガムを持ってても罰金なんてことはありません。公共の福祉を害さないかぎり特定の行動様式を強制しようとしたりすることは法の役目ではないという発想が日本にはあるからです。シンガポールと日本の差異があるとしたらそこらへんです。
リー・クアンユー元首相が今月死去しました。重石がとれた、といったら変ですが、できればシンガポールには法が私生活に介入しない方向へ変化してもらいたいと思っています。
でもってこの国の首相はリー・クアンユー元首相のことを「アジアの偉大なリーダー」と述べていました。経済的に日本とシンガポールは重要な結びつきがありますし、たしかに経済的な面では功績はあります。ただシンガポールは国家が極端な刑罰を用意して市民の行動を制御し、私生活に極度に介入している、特異な国です。たとえ社交辞令としても「偉大なリーダー」として持ち上げるその見識を正直疑います。疑っちまうのは、シンガポールに生まれたら、鞭打ちになっていた可能性が高いせいからなんすけど。