ヘイトスピーチというのがあります。東京の場合、外国人が住む地域へ行き外国人の社会的評価を下げるような言動や極端な排他的言動をする集団がいます。ここで国連人権差別撤廃委員会から、ヘイトスピーチに関して場合に応じて起訴すべきではないか、という勧告を八月末で受けています。起訴が可能か、というと可能かもしれません。根っこにあるのはある団体が京都で外国人が通う学校の前へ行き排他的な内容を含むことを大音量で街宣活動をしていた事件があってそれについて威力業務妨害と同時に侮辱罪が成立するかどうかってのが焦点になってたのですが成立するという最高裁の判断があり(最決24・2・23)、おそらくそれを意識してるのかなあ、と思っています。街宣活動であっても事実を摘示しないで、公然と(個人でなくても)集団などを侮辱することが侮辱罪になるという判断です。ただ事前に規制できるか、というと難しいところがあります。毎日新聞などを読んでいると複数の自治体がヘイトスピーチについて何らかの規制の必要性を感じてる旨の見解を持ってるのですが、ほぼ手つかずの状態です。いくつかの自治体は言論の自由との兼ね合いがネックになってるようなのですが。
○○では、というと出羽守を呼ばれることがあるのですが、ちょっと出羽守的なことを書いておきます。ドイツの場合、刑法130条に大衆扇動罪(民衆扇動罪)というのがあり、特定の民族やグループもしくは個人などに対して、憎しみをあおったりすると、刑事罰を適用することがあります。それが可能なのはドイツ憲法には当然言論の自由や集会の自由、教授の自由、結社の自由などがあるのですが、18条において自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用するものはその基本権を失うっていう条項があるためです。そのような刑法・憲法を持っているのはナチスの存在があったからです。ご存じのとおりドイツは第一次大戦後の社会問題に対して議会制民主主義や自由主義的な政党が事態を解決できなかったことから特定民族以外の排斥と政治権力を総統に集中させる独裁に近い形での国家運営を理想とするナチスが、委任の末の独裁を持つに至ります。そしてこれまたご存じのとうり、ナチスは瓦解します。第二次大戦後に成立した西ドイツは自由主義と民主主義というものを憲法の中に織り込ませます。自由と民主主義を失いたくないので、それを否定するものの存在を建前としては許さないのです。簡単に書けば戦時中の反省にたってナチスの行動や思想を礼賛することにつながる一切の行為を建前上は禁止します(余談ですが憲法擁護庁というのを設置して全体主義に限らず自由主義を否定する運動等を監視する組織もあります)。そしてまた、重要なことを書いておくとドイツ憲法の根っこというか1丁目1番地は人間の尊厳です。憲法1条が実はその規定です。ですから人間の尊厳を否定するような表現活動とか民族差別的な表現や言論というのはかの国では問題になります。サッカーのドイツ代表がアルゼンチンに勝って、凱旋帰国後にアルゼンチンを揶揄するようなガウチョ・ダンスをしたことにつき、あれは差別ではなかったのか?とか批判がおきたりしました。
日本はドイツのようなきつい憲法を持っていません。ゆるいです。それが良いことなのか悪いことなのか、正直評論できません。ほんとは条例であれ法規制であれ表現の規制というのはゆるいかないほうが民主主義のためには好ましいのではないか、と思っていました。各自治体が頭を抱えてるのもよくわかるのです。しかし相手の尊厳などに関して考慮していないような野放しのヘイトスピーチ(≒犯罪に相当する程度のもの)が跋扈するようになる、というのは好ましいとも思えないのです。自由があるゆえになんだか厄介な世の中になっちまったなあ、という気が。