似たようなことを前にも書いたかもしれないのですが。書くということを私はそれほど得意とはしていませんでした。意識的に前に書いていたのは卒論などの大学時代を除けば高校時代の交換日記です。そんなやつが何年か続けててうっすら自覚したことを書いておきます。
書くということは思考を経てアウトプットすることになりますが、そこらへん難点です。もしかしたらブレない人はいるのかもしれませんが、私はかなりブレます。たとえば文章というのは書いてると「こうあるべき」みたいなものができちまいます。人が文章を考えてるのはまちがいないのですが、いつのまにか文章が人を指図しちまうようなところがあります。たとえば疲労で気が緩んでて回避可能だったのに失敗を起こしたことを書いたら「ちゃんとしなくちゃ」とか考えちまいます。文章としてはそのほうがおさまりがいいので「ちゃんとしなくちゃな」などとなんとなく書いちまいます。じゃあほんとにそう考えてるの?というと怪しいのです。そのときはともかくとして、その週に疲れて疲労してるのなら休養をとるのがベストなのに休養をとらずに誘われて別のことをしてたりします。書いてるときはともかくとして「ちゃんとしなくちゃなんて、あまり考えていない」です。書けば書くほど、しばらくすると考えてることとなんとなくかけはなれてるときがあります。だったら「ちゃんとしなくちゃ」なんて日記なんか書くなよ、なんすけど。
書いてて思い知ったのは、私は聖人君子ではありませんし、矛盾のある適当な人間です。だったら矛盾の無いように・適当にしないように・聖人君子になるべく努力しなくちゃなのかもしれません。でも息苦しくて「できないかな」と考えています。いったりきたりしてるうちに書く文章というのは理想と現実の乖離のはざまでだらだら続けていると気が狂いそうになるのでなるべく「こうあるべき」を途中から排除して、あるべき論が引き起こしがちな永遠に未到達に思える理想郷を目指すことをやめ、なるべく起きたことを書いて・できそうなことだけ書いて、誇大妄想的にならないように心がけてます。でも中途半端なところがあります。たまに書いちまう。
おのれのことを書くと書いてる本人ですらどこか一貫性が無くて「こいつはいったい何なのだ」ということがあります。おそらくバカにされそうなことばかりだしなー・恥さらしだしなー、だから書くのをやめよっかな、と考えたことはけっこうあります。それでも書きつづけるのは、都合のいいことだけ書くのは・かっこいいことだけ書くのはどこかうそである、という意識があるのと、たとえぶれていようとも書くということがなんとなく重要なことなのではないか、という動物的勘によるものです。そういやきさまネコだろう、といわれたらにゃあと答えるしかないのですが。