ググれカス文化

ネットというのに触れるようになったのはおそらく05年前後です。エクセルはその前から使っていましたがネットというのを重視してませんでした。勤務先の2chのスレがあり、おそらく内部のひとじゃなくちゃわからない情報が当時から書いてあったのを伝聞で知っていたのですけど事実ではないこともある、というのをきいていて信頼できる情報があるとは限らないと考えて興味がなかったこともあります。ネットに対して考え方を変えたきっかけは仏教です。仏教に関係するサイトには専門用語の解説もあり、そこを閲覧する人の知識の差異に配慮した結果なのか、道を同じくする人に対しての遍く光を照らすためなのか、それほど知識がなくてもなんとなく判るように書いてありました。その影響が、私の場合はけっこうあります。あくまでも理想に過ぎませんでしたけども、予備知識がなくてもなんとかなるようにしよう・なるべく他人が判らない言葉は使うまい、と思っていました。巧くいかなかった失敗だらけですけど。
最近、はてなのトップページで本の紹介をしてるところがあって、若干閲覧してたのですが、田紳有楽という小説を紹介するうえでナラティブという単語を置いてありました。単純に語りっていう意味合いの・おそらく英語であることぐらいわかりますが、ナラティブという言葉の解説があるわけでもなく、ああこの本の紹介サイトはわかるひとだけわかればいい人向けなのだな、というのがなんとなく判ったのですぐ引き返しました。これが「ググれカス」文化なのかなあ、と思うのですが、なるほどググればなんとかなります。
ただ、文章を起案してこのことばはなに?といわれたら修正が入るような職場にいた人間からすると・寝そべりながらテレビをみていてわからない言葉を「あれどういう意味」ときかれてそこでさらにわからない言葉をつかうと「おれに小難しい言葉を使って戸惑わようとしたってそうはいかないからな」と再度説明を求められでこぴんを喰らう経験をしたばかりの人間からすると、「ググれカス」文化はうらやましいかぎりだったりしますっててめえのことはともかく。
気のせいかもしれないもののなんていえばいいのかその言葉を知ってる人のみ通じる言葉が増えて、ネットは物理的に世界につながりながらも世の中はどんどんタコツボ化してるのではないかなあ、と思っちまうことがあります。最初の経験がラッキーすぎたのかもしれません。予備知識がなくてもなんとかなるような、なんてのは夢物語に過ぎなくて、もちろん私もおなじようにタコツボに入ってる可能性は否定できないのですが。