忠臣蔵の話

起きたことを「しょうがない」と考えてのみこむことができるか、というと人によっては違うかもしれません。怒りとか「ゆるす」ということでずっと考えてるのが忠臣蔵です。
物語としての忠臣蔵というのはおきたことを「しようがない」と受け入れられず、また「ものを知らないやつに対する蔑視」をあらわにするような「いかすけないやつ」が成敗される話でもあると思ってて、忠臣蔵がいまでも人気があるのは後者のせいで、「いかすけないやつ」があちこちにいてあいついつかぶち殺したろ、と思ってる人がたくさんいるんじゃないか、と勝手に考えてるんすが。「いかすけないやつ」に泣かされたことがある場合、いかすけないやつ≒吉良上野介は許せなく、忠臣蔵はそういう内心に明確な輪郭を与えて、いかすけないやつが滅びなければならない、という方向性を示してるので、個人的にはひどく惹かれる話なのです。
ただそれが可能なのは物語という枠組みの中だからで、いかすけないやつは永遠に不滅だし、そりが合わない人というのはいて、実はそれらの人への対処法が人付き合いの中ですごく重要かもしれなくて、避けられない時にどうやったらそういう人と巧く付き合うか、というのも重要だとわかりつつ、答えは出ないのですけども。