以前はアンパンマンがかなり苦手でした。今でも若干苦手です。大人になってアンパンマンを詳しく知って「なんだろこれ」っていう違和感があって、殊勝にも人間として生きてく上で善悪っていうのをあいまいにしていいのか、とか考えてた時期があって、苦手だからってんでそのままにしておくわけにもいかなくて、爆笑問題の番組に亡くなられたやなせたかしさんが出ていて、アンパンマンについてのインタビューを以前視聴しました。
そのときお話をきいてて、いくつかすとんと腑に落ちたことがあって、ひとつは正義とは何か、ということで戦争中の「正義」が終戦後には反転していて、正義について考えさせられ、そのなかでやなせさんは「正義とは自分を犠牲にして腹をすかせた人を救うこと」と考えるようになります。なんだろう、腹いっぱいになると幸福感を感じるというのは感覚的にすごくわかるし、そういう実感があっての「たべさせるアンパンマン」なんだなあ、というのはわかりました。また創作が現実を忘れさす、ということをたしか述べられていて、そこらへんはわからないでもないなあ、と思いました。
ただやなせさんの解説を聞いたいまでもやはり苦手は払拭できていません。正義の名のもとに自発的でない自己犠牲を強要するような空気ってのが嫌いなせいもあるのですが、あるべき人の姿≒自己犠牲モデルとしてのアンパンマンってのが、どうも頭の中にあって、永遠に到達できない「人間のモデルとしてのアンパンマン」というように私はアンパンマンをみちゃってるから(だれもなれなんていってないのですが)、それがこじれてしまって「できるわけないじゃん!」っていう反発がまだかなり奥底にあります。「正義というものはときとして自分をいくらか犠牲にしなくてはならない」というのはすごくわかるし「誰かの役に立つことが実は良いことである」という道徳的なものも根底ではわかってるんだけど、正義の名のもとに正しいことをするアンパンマンがモデルとしているおかげでアンパンマンに近づけないいまいち正義とか正しいということがわかってない凡人は息苦しく逃げ場がありません。アンパンマンは誰からも称賛される善いことをしてるのですが、なぜかそれが私にはうそっぽくみえるのです(おそらく人を助ける話でも落語と違うからか)。しかしそのアンパンマン的世界を否定すると、非常に人非人的なところへ行ってしまうような気がしてならなかったり。
おそらくひどく万人受けしないことを書いてることを自覚してるのですが、ここらへん善悪というのがいまいち微妙にわかってないことと自分の中ではつながってます。アンパンマンは児童書で私は児童ではないのですがいつの間にか影響を受けていて、おのれの中に巣食うアンパンマンの扱いに、いまだ手間取っています。