神田祭2013

御茶ノ水という不思議な名前の駅がありますが、JR駅の所在地は神田駿河台、流れてるのは神田川で、もともとは神田です。

で、神田の氏神神田明神で、今日は神田祭で各町の町神輿の宮入れでした。東京以外では神田祭はあんまり知名度が高くはないかもです。二年に一度で(ただし例大祭神田祭やらない蔭年でもやります)、二年前は地震がありましたから中止となってて今年は四年ぶり。赤坂日枝神社山王祭の大祭(山王祭は毎年ですが、大祭となるのは二年に一回)とならんで天下祭とも言われます。

湯島聖堂裏・明神鳥居前でスタンバイする豊島町の神輿。

湯島聖堂横にもスタンバイ中(に組と書いてあるので、横山町あたりかな)

隨神門でスタンバイする東神田の神輿。神輿は神田・日本橋周辺をあわせ100近くあるはずなので、門前は宮入れ待ちで渋滞が発生します。その渋滞を避けるように参拝。

神田明神内に置かれてる将門公の神輿です。昨日、私は勤務があったので見学できなかったのですが、この神輿を担いで神田明神から秋葉原電気街を経て室町方向まで行列がありました。さて、神田明神に祀られてるのは大黒様と恵比寿様に平将門公です。平将門は関東の人間のために闘った、というので神様です。で、明治維新のときに天皇がくるにあたって平将門は朝敵であるという理由で好ましくないので神田明神の祭神から外されちまい、境内の別の末社に移されます。日本の神道というものがちょっと困ってしまうのはそこらへんで、神田明神神田神社という名称変更がなされ、神田祭明治17年に復活するまで空白の時期があります。将門公が神田明神に戻るのは昭和59年で、いまに到ります。
境内には山車が公開されていました。

ひとつは神田元岩井町(いまの岩本町)の桃太郎の人形の山車です。以前は祭礼時行列を組み、その際に山車もだしていて(いまはほとんどありません)、昭和初期に作ったものが保存されていて、今回公開されていました。ついでに書いておくと気品のあるふくよかではない育ちのよさそうな顔つきの(どう説明すればいいのかなあ)美少年で、でもちょっと生々しいお顔です。

で、もうひとつ。話がややこしくなるのですが、日本橋魚河岸の人たちが日枝神社山王祭の山車として曳いてたのが加茂能人形山車です。で、神田明神境内に魚河岸水神社があって、日本橋魚河岸とゆかりがありました。で、加茂能人形山車は関東大震災で焼失します。ブラタモリでもやってましたが関東大震災日本橋魚河岸は築地に移転しますが(その際築地にも魚河岸水神社を遥拝する施設がつくられた)戦後に築地魚河岸が資料を基に山車を復活させいまに到ります。魚河岸水神社のつながりからか、出ていました。江戸の山車の痕跡のひとつです。

載ってるのは京都・上賀茂神社の別雷神だとか。とすると、馬の絵のある幕はくらべ馬会神事なのかも。


秋葉原まで歩いたのですが、秋葉原も外神田というのですが神田です。

神田五軒町(外神田)の神輿の先には

佐久間町(外神田)の神輿が。ここでも順番待ちです。ちょっと不思議な光景というか。さすがに表どうりにはメイドさんとかはいませんでしたが。

以上、ほんのちょっと・駆け足ですが、神田祭の報告でした。