眼力社へ

ちょっと前に書いたかもなんすが今月に入ってここ2年ほど抱えていたことがほぼ収束し、そのまま次の課題に取り掛かってはいるのですが、
息抜きがしたくなって正味二日ほど関西をほっつき歩いていました。

○伏見へ
東京を脱出してきたはいいけれどほとんどノープランで、前回雨のため登らなかった伏見稲荷へ行こうと考え、

京阪電車で伏見をめざしたのですが、中書島という駅まできたところで停電で京阪電車が立ち往生しちまいました。復旧がいつになるのかわからないので考えを変えてJR線の駅まで歩くことに。

JR線の駅に行く道すがら黄桜酒造をちょっと寄り道(ちゃんと桜の木とかっぱ資料館がある)

カッパに挨拶。かっぱっぱ♪るんぱっぱ♪かっぱキザクラかっぱっぱ、ってのが頭にこびりついてるのですが、メロディの入ってる記憶ってすっとでてきます。子供のころからお酒というのは楽しそうなものだという刷り込みは絶大だった気がします。歌詞の中にノーメルノーメルと囃すところがありますが水のせいかどちらかというと辛口で酸が多めの骨太な灘酒と比べると伏見の酒は口当たりはよいので、のみ比べをしたときに「かっぱは間違ったこといってなかったのか」と感じたことがありますが、でもこれは人それぞれかもしれません。

伏見稲荷は全国のお稲荷さんの総本社です、っていえば簡単なのですが、おそらく説明になってるようで説明になってないかもしれません。26万坪のひとつの山全体が神域になっていて、そこに多くの神様がいらっしゃるというか、存在します。本殿には稲荷神がいて、五穀豊穣・商売繁盛の神様なのですが

本殿の東・山側に千本鳥居というのがありまして、この千本鳥居の先にも神様が居る、といえばいいのかなあ。

千本鳥居の奥にも鳥居はずっと続きます。鳥居は無数にあります。朽ちるとだれかが寄進して、赤い新しい鳥居が立ちます。鳥居があるのは願いが「通じた」ことの御礼の証です。ここはもうずっと、その繰り返しです。

どれが御神体なのかよくわからないので神名が書かれてる石を旗で隠して変な写真で恐縮ですが、三の峰というところにある白菊大神という神様が居るところです。比較的大きな社が7から10くらいあります。右側、灯篭のわきに鳥居がたくさんありますが、あそこにも神様がいます。通称「お塚」というのですが、稲荷信仰を持つ信者が私的に勧請というか奉納したというか、ともかく別の稲荷神があちこちにいます。そこに鳥居を奉納してるので、神様があちこちにいて、鳥居があちこちにあります。

伏見稲荷の境内をあるいているとと知識で知っていたみえないはずの八百万の神々、というのが理解できてきます。それを信じている人の痕跡がたくさんあるからです。聞いてはいたのですが、なんだろ、神様が居る痕跡をたくさん目撃するとちょっとカルチャーショックというか。おそらく神様が居るんだろうな、くらいのことは思えてきます。

比較的大きめの、眼力社というところです。写真はやはり御神体がどれだかわからないので、眷属(神様のつかい)の狐を写しています。眼力社は眼の神様で、眼病によいってのはもちろん眼が利くとか眼力が授かるというのもあります。視力が悪いっていうこともあるのですが、もしかして重要なのは観察眼なのかなと考えることが最近多いせいもあり今後のこともあるのでお参りしてきました。混乱してる時にはたいていわかるところとわからないところが混在してて混在してるがゆえに不安になってくるんすけど、それを観察して判断してわけなくちゃいけなかったりします。また起きていることというのには必ず原因があり、観察して分析して対処しなくちゃな部分があります。観察眼のようなものは試行錯誤のすえにある程度の自信はついてきましたが、力足らずかな、という部分があって、なんとかしなくちゃってのがあります。もちろんそんなの神頼みで備わるような生易しいものではないはずっすけど。

山の中にはお茶屋さんが何軒か。きつねうどんや稲荷寿司を売ってました。きつねの好物だから不思議ではないのですが。

千本鳥居から奥、山の中というか境内地を一周してだいたい1時間くらい。猫が比較的いました。キツネと猫はケンカしないのかも。

この日は風邪気味で早めにいったん宿へ。
[遡及日誌二日目]
京都御苑の東にある清浄華院(通称泣き不動)というところへ。

三井寺に重病の僧がいてその僧をたすけるために弟子が陰陽師の協力を得て苦を引き受けます。その弟子が苦と闘ってるとそのいきさつを知った不動明王がこんどはその苦を身替りとして引き受け(ゆえに苦に泣きながら耐える不動明王なので泣き不動なのです)、結果不動明王が地獄に行き(!)閻魔大王に事の次第を話す、という伝承があるところです。清浄華院の場所を長い間知らなかったのですが去年やっと見つけだしたのでした。どう説明していいのかわからないのですが、四国で以前聞いたこの不動明王の話にひどくひっかかるところがあり、現地行ってどうなるってわけじゃないのですが、現地へ来た次第。
たまに電話口でちょっと苦労したこと、なんてのをきくと、うわぁ、って思うことがあったりするんすが、苦というのは苦労に限らず他人のものであってももしかすると心が揺さぶられてしまう・動いちまうのかもしれません。でもって行動に打算が無いように思える行為も、なにかこう、揺さぶられるものがあるのかも。お不動さんがいるお堂でしばらく考えてたのですが、うまくことばにならず。
京都御苑
今出川通に近い、御苑の北のほうでは桜が咲いてました。

桜は日本橋でも咲いてるんすが、つい呆けてみちまったり。

呆けたまま、ってわけにもいかないので、チャンネルを切り替えて、東京に戻りました。