この2年ほど「どう処理していいのかわからないこと」というのを経験してきました。判らないことがある、というのは劣等感があります。本来どこかに答えがあるかもしれないことだからです。劣等感を抱える・直面するのは嫌ですから第三者に丸投げ・判断保留にして先延ばしして逃げてもよかったのですが、いまある事態を解決しておかないとあとで解決により時間がかかるとハラをくくってこの2年ほど頭を抱えて仕事してました。先週9割7分くらいまでなんとかなり、あとはもう手がかからない状態になったので、一息ついたよな状態です。
全体像をつかんだあと、手当たり次第判らないことと判ること、というのを区別してひとつひとつわからないところをはっきりさせながら同時並行で複数あるわからないところの解明と課題の解決策を模索していくハラを固めたのですが、話をややこしくすると問題はその答えがひとつとは限らないし、いったん出た答えが妥当かどうかというのも検討しなければなりません。で、複数の専門の範囲にまたがることにつき判らないことを判らないとつたえ、解決策を模索するうえで仮説と仮の解決策がそれが妥当かどうか各方面の詳しい会社内・会社外の専門職に訊いていると、自らの知識の限界を示しつつ「わからないことはわからない」ということをはっきりいいました(これはほんとに誠実な人にあたったなあと縁を感謝するしかないしその誠実な態度はほんと真似したいと思った)。ただそのままだとまずいと考えてるのでいくつかのヒントを貰って動いていたのですが、必ずそのヒントをすりあわせ、なんとか良いほうへ方向を導き出し、後で役に立つかもしれないと考えて「わからなかったこと」「一応の解決策と各方面の専門職の意見」をお世話になった各方面の専門職にメモとして伝えておいたのですが、参考になった・勉強になった、という感想を貰ったりもしました。知る・勉強するというのは果てが無いのだなあ、と思知らされたのですがそれは兎も角。


実は冷笑的にできるわけないじゃんとか手間かかりすぎとか関係ない外野からいろいろ言われ、最初は巧くいくかどうかわからないと思っていたので、けっこう折れそうになったのですが、

JUST RUN AWAY止めないでよ後悔は少なめのMY LIFE
B'z「孤独のRunaway」

ってのに何度か救われた気がします。同じ曲の中で

本当は誰もが平和に見える毎日を壊したがってる
もしもあなたの心が身軽なものならそこに長居は無用さbaby,here we go!

ってのがあるのですが、なんにもしないでいるよりはなにかを壊してみる、ってのもありました。ことを起こさないとどこで巧くいく種があるかわからないままで事態がより複雑になる可能性が高まるかもしれない・やらない後悔よりもやった後悔のほうがなんぼかましだ、とか。


実際手間がかかりましたけど納得のいくような方向へ持ってくことができたので「長かった」といわれはしたものの、最後はあまり文句は出ませんでした。「長かった」といわれても比較対象が無く・もしくは実現可能かどうか不明の想像上のプランとの比較でしかないので効率化は難しいのだけど、ここ2年は走り出したら孤独なこともあったけどほんと短かったような。とか感傷に浸っても仕方ないし長居は無用な気がするので、心が身軽かどうかはわからないけど、今週から次の課題に没頭してます。