スミス都へ行く

スミス都へ行く、という戦前の米国のコメディ映画があります。
ある州の上院議員がなくなり、その州の政治的黒幕が扱いやすいと考えて後任の上院議員として若くて政治的経験が無い少年団の団長であったスミスを後継にします。新任のスミス上院議員はワシントンに赴任しますが政治的経験が無いことからくる軋轢に耐えきれずまた政治家稼業に慣れず、いったん辞職しようとします。そこで同郷のペイン上院議員に相談するのですが、慰留され辞職を思いとどまります。出身州に少年団のための施設を建設することをスミスは考えており、ペイン上院議員にすすめられて議案を起草して提出しようとします。しかしその土地は公共事業予定地・ダム建設予定地で(ニューディル政策によるもの)、なおかつその州の政界の黒幕がそれを見越して手を付けていた土地で、以前は理想の実現に燃えていたけれど現実に政治を動かすためには理想だけでは巧くいかないと悟っていた・政治的黒幕と全く関係が無いわけではないペイン上院議員は、地元との軋轢を考えるとそのスミスの議案はまずいと考えて、スミスを排除しようとします。同郷のペイン議員から排除されそうになったスミスは議会に失望し、再度辞職を検討しますが秘書から発破をかけられ、議会に出て彼は発言を求め、出身州のダム工事にまつわる不正行為をほのめかし、さらに事実が明らかになるまで演説を続けようと決意します。フィリバスターというのですが、アメリカの場合上院では議員の発言は自由でやろうと思えばいくらでも可能で、言論の府としての議会でできる限りの抗戦をします。スミスは丸1日演説を続け、ペイン上院議員も良心の呵責に苛まれるのですが、結末は映画をご覧いただくとして、議会制民主主義の限界と理想を描いた力作です。
限界と書いたのは私の個人的見解です。民主主義のシステムは、人に左右されます。議会制民主主義というのはメディアの影響を受けやすく、また政治的黒幕というのを生み出しやすく腐敗もなにかと招きやすかったりします。スミスとペインというのがいるから物語として成立していますが議会制民主主義というのは極めてもろいものです。スミスとペインが居るのでここでは理想が描かれていますが、その理想的な議会制民主主義を実現できてると胸を張れる国があるかというと70年を経たいま、ないかもしれないわけで、この映画の現代性ってのはあるんじゃないかと思っています。じゃあスミスのような理想だけで話が進むかというとそれはまた別問題で、現実的にはそこにいまある勢力と妥協が必要でペイン上院議員のようなことを抱えちまうわけで。勧善懲悪の話でもあるのですがおそらくそれはこの映画の半分しか見ていないかもしれません。
もうひとつ、スミス議員がフィリバスターをやってるときによその国も注目してることがそっと触れられています。民主主義をとっていたワイマール体制が巧くいかずに議会が授権をしたうえで指導者が指揮して政策を実現してゆくドイツをおそらく意識してるのですが、議会がどうあるべきか、政治がどうあるべきか、アメリカもどの国ももしかしたら自信をもてていなかったのかもしれません。政治学をちゃんとやったわけではないのでわかりませんが。


はじめてみたのが政治学を専攻してなくてもとれた大学の政治学かなにかの授業のテストのあとで、興味がある有志だけでみせてもらったのですがけっこう強烈な印象がありました(その1回しか見てないのにこれだけ思い出せるほどです)。いつかもう一度ちゃんと見たいと考えてたのですが、実は今日、NHKBSで「スミス都へ行く」が放映されてて、でも間が悪く、気が付いたのが移動中に読んでた新聞ででしたから、録画できませんでした。もう学生じゃないから議会制民主主義がどうこうと考えなくてもよさそうなのですが、でもたまーに根っこの部分で、なにかが疼くのです。