やる気の問題

スポーツが得意かといわれると得意ではありません。野球は嫌いではないのですが肩こわしてるので草野球もやりません。泳ぎますが鍛錬のためというのには程遠いです。育った街で近所の神社で剣道を習ったことはありますが段保有者ではありません。ただ剣道の経験は恐らくかなり影響しています。最低限の礼儀作法的なものはたいていここで教え込まれましたし、いざというときの攻撃性の使い方はその時教わった気がします。
未だに覚えてるのですが、高校のバスケでクラス内で誰がうまいのかうまくないのかわからず様子見をしながらやっていたらおまえなにやってるんだ積極的に取りに行けよと教師に怒られ、その通りに積極的に取りに行ったらなんで最初からそうしないのかとあきれられたことがあります。体罰はなかったですがああスポーツというのはやる気を見せる部分があるのかと思い知ったのですが、人というのは常にやる気があるわけではありません。ガッツとかやる気とか、目に見えないものが何かを左右することがあるのは確かで、それがスポーツには必要かもで、よくスポーツに秀でてる人が組織の中で活躍することがありますが、それはおそらくそのガッツのだし方を心得てるからかもと踏んでるのですがそれはともかく。

スポーツが日常にあるわけでも・身についてるわけないので、やる気というのは自分の中でもそう簡単にでてこない時があります。いわゆるポジティブ思考なんてのはあんまりできません。理由は単純で、ポジティブとかやる気がすべてを解決するわけがないからです。問題が起きたとき、それは何が原因か、偶発か必然か、緊急でやらなくちゃならんことはなにか、中長期的に再発防止のためにやんなくちゃいけないのはなにか、すべてでなくてもいいからいくつか明らかにして、そのうえでやる気という力仕事が必要なのです。で、やんなくちゃならないタスクがあると「こんなんできるのかな」的な、絶望がでてきてやる気が失せます。失せちまうと再起までけっこう大変・めんどくさいのですが、それを表に出したところでしょうがないので内心めんどくさいなーと思いつつやる気が必要な目の前の問題を片付けます。一人であれば黙々と、そうでなかったら問題点を共有しながら片付けます。他人のやる気というのはもっと引き出すのが微妙で、やる気というのは繰り返しますが「困難かもしれない」と思わせると消えちまいかねないので、そこらへんをぼかしながら試行錯誤したりしてます。


「根性」とか「やる気を出す」とか不可視のことというのは、いうのは簡単なんすが、なかなか難しいよな、とやはりこれも思っちまうのですが。