バロメータ

後輩ができて指導するという経験をすると、怒ることというのは、おそらく期待することに似ていて、期待するというのはまだ改善の余地があって、その状況を打破したい、なんとかしたいっていう期待が、怒りなのではないかと思うことがあります。改善の余地がない・状況が変わらぬことを諦めてしまえば、おそらく事態は打開する方向へは行きません。怒りってのはおそらく思考のぶつかり合いの摩擦で、摩擦があるからこそ事態は動くんすが、けっこうめんどくさくて、あれこれ考えるのはおそらくその相手になにかしら思うところがあるからっす。たとえば後輩であればそのめんどくささを引き受けてもいいかな、と思えるのですがそんな愛情もなければどうでもよくなってくる。


怒るというのを通りこして改善の余地がなく、さらにどうでもいいやって場合は、どうやって火の粉を振り払うか・損害を減らすかという方面に思考が行きます。年上のおとなが顔を合わせて目線を外すってのを体験すると哀れしか思い浮かばず、怒りってのはなんかこうバロメータみたいなところがあるな、と思った次第。