勘三郎丈死去

ここ数年、機会があると歌舞伎を観ていました。観ていましたっていっても、あれっす、おめかししてでかけるんじゃなくて、仕事帰りにスーツ姿のまんまとか、デートの前とか、都心部へ買い物へしにいったついでに東銀座の歌舞伎座へゆきいちばん上の花道がほとんど見えない幕見の席(1000円くらい)で席数以上に売るのが通例だから座れたら御の字、場合によっては壁に寄りかかりながら歌舞伎をみてました。おそらく50はいかないと思うから、ほんとは大きな口は叩けません。
で、歌舞伎を観るきっかけは家で書類を電卓叩きながら書いてた時にたまたま視聴した平成中村座の法界坊です。平成中村座というのは勘九郎時代の18代目勘三郎さんが立ち上げたプロジェクトで、やるのは歌舞伎なんだけど、串田和美さんという外から演出家を呼びまた歌舞伎以外の世界の人も舞台にあげて期間限定でやってた舞台です。それをみて、うわあこんな面白いものがあるのか、と歌舞伎座に行くようになりました。
平成中村座以外にも歌舞伎座野田秀樹さんを呼んで鼠小僧をリメイクしたり、渡辺えりこさんをよんで舌切雀をリメイクしたり、というのを勘三郎さん主導で歌舞伎座でかけてました。一連のこの取り組みはおそらく歌舞伎をとっつきにくいと思ってる層にも歌舞伎座に足を運ばせようという目論見かもしれません。おそらく平成中村座が無ければ私は歌舞伎を知らないままだったはずで、その目論見にわたしははまりこみました。もちろんそれらの取り組みのほかに、身替座禅であるとか鰯売戀引網であるとか、歌舞伎座にて昔からある演目を観る機会がありました。私は幕見でずっと観劇していたのですが、そこには大向うという、かけ声をかける人たちがいます。観劇のプロで、要所要所で「なかむらや!」「18代目!」と声をかけます。その間合いが絶妙で、でもって「間」というのが歌舞伎を観るうえで重要なのではないか、ということにうっすら気が付きました。でもってあたりまえのことかもですが「間」というのを気にすると勘三郎さんはほんと見事なまでに間のとり方の巧い役者さんで、でもって阿呆な役をやらせればぜったい愛される阿呆の役をやり、どうしようもない男の役をやらせればああこういう男いるよねと思わせる説得力のある役者さんで、かじっただけなんだけどプロの仕事を堪能させてもらったと思っています。つかいまさらなのですが、おっそろしく幸福な演劇空間をわたしは歌舞伎座で堪能していたのかもしれません。


また江戸(同時にいまの東京)の人間が根っこでもつ複雑な照れや複雑なやせ我慢、または「粋」というのを劇中におそらくいちばん違和感なくすっと表現することができた役者であったとおもいます。前回の突発性難聴のときと同様、私はてっきり復活するだろう・勘三郎丈の芝居をもう一度観れるだろうと見込んでいてて、ぜんぜん病状のことをフォローしてなく、復活したらなにをかけるのかなあなどと呑気に考えていました。今朝方のニュースで知りコーヒーを淹れる手が止まってしまったのですが、いざ実際ほんとにいなくなってしまったのが判るとほんと惜しい人がいなくなってしまった感があります。