三鷹電車区の陸橋

用があって三鷹というまちへ。すこし時間があったので歩きました。

中央線はオレンジ色の快速と黄色の各駅停車があるのですが、黄色の各駅停車の終点が三鷹です。大手町から30分くらいの、郊外の工業都市です。

三鷹には戦前から電車庫があります。その電車庫には陸橋がかかっててます。ここを太宰治がよく散歩したのだそうで。

なんでそんなことを知ってるかというと、最近JR東日本がそのことを宣伝してたのです。

昼間なのでけっこう車両が眠ってます。

太宰さんは三鷹に戦前戦後の一時期住んでいました。ヴィヨンの妻とかが三鷹時代です。ほんとに行きつけの料理屋のカネを盗んでいたり、取り立てに来た相手をナイフで脅してたのかはわかりません。出入りの酒屋さんあとが公営の文学サロンになっています。でもって文学サロンですからあたりまえかもですがほんとに文学談義をしてる人がいて、月見草と富士の話をしていて、回れ右して空気に耐えかねて即出てきちまいました。なんだろ、最近文学アレルギーみたいなものがあって、ダメなのです。根が不真面目なせいもあるかもしれません。

それほど遠くない場所に仕事場があったところがあります。数か所転々としてるのですが、左側のビルのところにあった小料理屋さんの二階がある時期の仕事場でした。で、右側手前の葬儀屋(SOGIという看板が出てます)さんのところに一緒に自殺する女性が住んでいました。その女性の部屋から玉川上水に向かうのですがそれは兎も角。


現在の玉川上水べりで、まっすぐ進むと神田川の水源になる井の頭公園になります。玉川上水そのものは江戸時代に作られた江戸の上水道です(現在は不使用)。

井の頭へ向かう途中「なんじらは我を誰と言うか」と問いにある落第生から「サタン、悪の子」といわれショックをうける短編があります。戦前の三鷹時代に書かれた「誰」という作品です。 

私は学生たちと別れて家に帰り、ひどい事を言いやがる、と心中はなはだ穏かでなかった。けれども私には、かの落第生の恐るべき言葉を全く否定し去る事も出来なかった。その時期に於いて私は、自分を完全に見失っていたのだ。自分が誰だかわからなかった。何が何やら、まるでわからなくなってしまっていたのである。仕事をして、お金がはいると、遊ぶ。お金がなくなると、また仕事をして、すこしお金がはいると、遊ぶ。そんな事を繰り返して一夜ふと考えて、慄然とするのだ。いったい私は、自分をなんだと思っているのか。これは、てんで人間の生活じゃない。
「誰」より

否定する言葉を持ち得ず、私は悪魔なのかと悩みます。家のものにも「悪魔に見える」借金を頼んだ先輩にも「悪魔の素質がある」女性読者からも「あなたは悪魔だ」といわれてしまう話です。詳細は短編集をお読みいただくとして一読すればちょっと滑稽なくらい自分が悪魔かと悩むのですが、そんなつもりがなくてもふるまってる言葉や行動が時として他人には悪魔のようにとられてしまい、否定する材料を持たない難しさを語ってると考ると、言葉の通じなさや微妙さってのはここらへん今でも通じる普遍性があって、滑稽が滑稽に見えてこず苦悩がなんとなく判ってくるというか、高校生時代に読んで強烈な印象があるんすけど、いまでもけっこう気になる作品です。私の場合は悪魔という言葉ではなくて面白いとか変とかで、うちのめされてます。いったいなにがどう変であったり面白いのか判るようでわからなくて、しかも否定できる材料を持ち得ません。ぜんぜん文学畑ではないけど、太宰さんの言う自分が誰だかわからないということ(もしくは言葉や行動を通しても意図が通じないこわさ)についてのなんとなくの切実さだけは理解できます。でもって「仕事をして、お金がはいると、遊ぶ」ことがないわけでもない私も悪魔なのかもしれなかったり。悪魔で困るかっていったらそれほどでもないのですが。

それほど歩き回ったわけではないのですが、ちょっとだけほっつき歩いてました。上水ばたにはヒガンバナの群生があり、みつけて撮影。東京は今年はヒガンバナが遅いかも。

ぜんぜん関係ないですが、三鷹ジブリ美術館も近いです。興味深い施設であるらしいことは人づてに聞いてるのですが、いつか行きたいと思ってるのですがまだ果たせてません。