神田相生坂

神田です。昌平橋という、神田川に架かる橋から撮影。

右が総武線で、千葉方向から新宿への路線で、左が新宿から東京へ向かう中央線の線路。Y字の分岐点です。こんなところ撮ってなにになるのか、って、なににもなりませんが、Y字の分岐点って気になりませんかね。ならなかったらすいません

そのすぐそばにあるのが相生坂で、相生坂にあるのが

湯島聖堂です。学問成就の祈願所で、東京周辺の学生は湯島天神もしくはこの湯島聖堂に受験生のときにお世話になってることが多いです。もっともここは孔子を祀ってるというだけで神社ではないっすけども。鉛筆を貰った記憶があります。
学問成就ってなんなのか、というとよくわかりません。門のそばに「学問成就」の旗が出てて商売熱心じゃんなんておもったのですが、このことば、でもわかるようでわかりません。大学を出て学士号は貰って学問を修めたつもりだったけど実感としてはあくまでも通過点に過ぎなかったかも知れなかったり。実際社会に出てみると、大学で習った事例よりもっとヘビーなことが起きたり、本に書いてあること以上の現実に遭遇したり、もちろん他人の知恵・知識も借りますが、そこでの現実的解決法をなんとか編み出さなきゃいけなかったり、なんてこともあったりします。また机上だけではみえなかった疑問点ってのがでてきたり、ってのがあって、それも少しずつ紐解いたりしてるのですが、たぶん死ぬまで疑問とか問題にぶち当たりそれをなんとかしてかなきゃいけないのかな、と思ってて、どこまでが学問かはわかりませんが、いちど身につけた学問ってのは成就することなんかないんじゃね?と思ってるんすけど、どうだろ。なんだか難癖つけてる酔っぱらいみたいですが。
でもって湯島聖堂は江戸時代の昌平坂学問所のあとでして、いまでも漢詩論語の講座があります。論語っていっても「過ちては改むるに憚ること勿かれ」とか、すこししか知らないんすけど、これも文字にすれば簡単そうに見えますがなかなか実際は難しいことのような気がします。学問ってのもそういうものかもしれないのですけれども。

湯島聖堂内の建物の屋根の上には私が小さいころからいろんな聖獣がいまして、見えにくいかもっすがたぶん火よけのしゃちほこと思しきものがいます。湯島聖堂から遠くない病院に通院してて、はじめて来た時はまだ小学生だったんすがそのときはここ、なんだかすごい不思議な場所に思えました。いまでもちょっと不思議な場所という感覚がぬけないんすけども。


湯島聖堂のそばにあるのが江戸総鎮守・神田明神です。

鳥居のそばにあるのが天野屋さんという甘酒屋さんです。神田の名物なのですが、思春期からこっちあの白濁した甘酒が苦手で、残念ながら飲んだことがありません。もしかしたら損をしてるのかも。

祭られてるのはだいこく様と、えびす様、それに平将門公です。平将門公は(朝敵とか呪いとかのイメージで語られることが多いですが)戦いに強かったのと、関東のために動いたので江戸では神様です(なお神田明神と一緒に将門公征伐とゆかりの深い成田山へのお参りはNGというルールが実効性はともかくとしていまでもあります)。
ぜんぜん関係ないかもですが、呪いってのはもしかしたら、希望に沿わなかった現実があって成就できなかったことがあってそれに対する起きたあとからの恐怖とセットの後悔なのかな、と。女の子と交際できそうにないから断ったら近所までつけられた、ってことが以前あってびくびくしたことがあって、でもこっちの事情もあるわけで、ほんとはびくびくする必要なんかないんだけどその「びくびく」はもうちょっとやりようがあったのではないかという後悔とセットの恐怖で、その「びくびく」が呪いなんかなあ、と。ここらへん普遍性もないかもで、うまくかけないんすけど。もちろんそんな軽いものではないのかもなんすけども。
でもって後悔は少なめのほうがいいんすが、なかなかうまくいきません。

お参りを済ませたあと、裏参道へ。けっこう急で、本郷台地のキワであることが実感できます。

裏参道は新妻恋坂に面してます。ブラタモリではここに昔は湧水をつかった水田があって、それが神田の由来になったかも、とあったのですが、どうなのかなあ、と。はい、今日もまた、先週に引き続き、ブラタモリの影響です。

なお、神田はぼちぼち紫陽花が見ごろです。
以上、かけあしなんすけど、神田周辺の実地レポートでした。