毛利家と六本木

六本木です。

六本木ヒルズ・ミッドタウンができてからなんとなくビジネス街のイメージが強いっすけど、ベルファーレ(90年代末にパラパラってのが昔は流行ったのです)が閉じたのは知ってたもののまだマハラジャ(バブルの頃のもの)なんてのが残ってます。ここはけっこう過去の歴史をひきずる街なのかもしれません。

でもって朝まであそんでたわけではなくて、午前中ミッドタウンにいました。サントリー美術館で毛利家の展示を見学しててあたりまえといえばあたりまえですが、戦国時代に瀬戸内の水軍を従えてたことをうかがわせる書面であるとか、毛利家に伝わる能面、雪舟の絵、高野切という古今和歌集の写し(とてもじゃないけどよめないもののキレイでどこか力強くなんとなくお手本として扱われるのが判る気がした)などをみてきました。華美なものはあまりなく、比較的地味なのですが、それでもなるほどなあ、と思えるものが多かったっす。もしかしたらなんすが(萩に行ったことはないのでへたなことはいえないのですけど)決して華美にはしらない、堅実な気風の藩だったのかもしれません。
能面は能をやらないから観たって仕方ないのですがさいきん表情というのは意思を伝えるうえですごく重要なアイテムなんかな、などということを考えてから興味を持ちはじめました。角度によって表情がかわるのですが、悲しげなら悲しげでことばよりも雄弁なのです。ことばなしで表情でなんとなく判る・意志疎通ができるということは(えっちなことをしてるときだってそうなんすけど)ことばってすべては表せないんだなあ、などと考えちまうんすけども。
歴史に関するものや美術品とか見ても実生活ではなんの足しにもならんのですが、実生活に関係ない分野のことほど面白く感じるからちょっと不思議です。

なぜサントリーで毛利家の展示をやってたかというとここが長州藩・毛利家の屋敷だったから、という理由があったようです。写真の池はミッドタウンの檜町公園の池なのですが、江戸期の毛利家の屋敷時代から続くもの。維新に関するドラマなどをみてると幕末に毛利家はどかんと武器を買い込みます。大学受験のときにあのお金はどっからでてくるんだろうと不思議でした。ひもとくと、撫育方という特別会計の存在があり、検地をしたときに増収が明らかになったんだけどそれを藩の一般会計には繰り入れずにこっそり貯め、さらに新田開発塩田開発に再投資し、並行して越荷方という会計を作り他国の船荷を質草に資金を貸付け利益を得ています。ほかにもこの屋敷に他藩から来た進物等をばれないように現金化して穴蔵に貯めていたというんすけど、でも展示をみててその地味さをみるとなんとなく納得しちまったんすが。
六本木にはもうひとつ毛利家由来の場所があって、

六本木ヒルズテレビ朝日前の毛利庭園です。こちらは毛利家の分家のほうの屋敷跡。池というか水辺があって、なんとなく息苦しさがまぎれ、けっこう貴重な空間っす。