北陸へゆく

【金沢】
週末、北陸にいってて、土曜日の午後、金沢を計画なしでぶらついてました。

とはいうものの、兼六園下なんすが、さくらが満開ってのもあったのですがすごい渋滞でして、バスも時間どうりには走りません。なもんですから、文字どうりほっつき歩いてました。

まず目指したのは金沢21世紀美術館です。ユニットの設計のガラスで囲まれた直径100メートルのまるい、芝生に囲まれた、裏表のないどちらかというと現代美術の美術館です。妹島和世さんと西沢立衛さんという建築家のユニットのSANAAというのがあって、そのユニットの設計なのですが、その存在を上を通過した人から聞いてはいて、ちょっと興味があったというか。ちなみに市役所の隣、中心部にほど近いところにあります。

香川県の直島の美術館もそうなのですが、コミッションワークといって、作家と建築家が互いに連携し、一部は作品と建築が一緒になってるところがあります。通称レアンドロのプールというのですが、プールのように見えて貯水エリアの下は空洞です。(残念ながら改修中なのでいまは下からは覗けないのですが)ほんとは下からのぞけます。作品でありつつも採光を考えてるんだろな、などと凡人はまず思っちまったのでした。たぶん水面の不思議さ・太陽光のすごさを体感できるという作品なんじゃないかと。水というのは人をどこか安心させますし、比較的変化がある・動きがあるので、きわめて興味深い題材です。でもそれを採光の部分にはめ込んじまう・つかっちまうのが、そんなことは普通しないので、ちょっと唸ってしまいます。建築というのは雨や風を防ぐ、という実用性を持ってますが、実用性と美術というのはてんで方向性が違いますからいっしょにすれば実用性の無さが浮かび上がります。水をはめ込むなんて非実用的です。芸術ってそういうものなんだろか・芸術ってなんなんだろ、という素朴な疑問にいっちまい、壮大な非実用性なんだろかとか、お金をかけた放蕩なんだろかとか、そんな方向に思考が行っちまうのですがそこらへんはつまらない話なのでさておき。
学芸員の人以外誰もいない空間にしばらく佇んだ後、子供連れがレアンドロのプールをしげしげとのぞき込んでて、やはりみちまうので、うまい具合に作者の目的は達成されてるのかもしれません。ことばは不要で「みてみて!こんなもの考えたよー」ってのが芸術のあり方なのかもしれないんすけども。のぞき込んで、こうして書いてる私もレアンドロさんのたくらみにのっちまってるわけで。なかにいてしばらくすると芸術が放蕩でも、もうなんでも良いや、なんて思えてくるから不思議です。

ガラスで囲まれたって書きましたけど、中から外が丸見えですし、外から中も丸見えです(この建物、メンテナンスを考えるとくらくらしてくるのですが)。教養なんてものを取っ払えば芸術とそうでないものを隔てるものなんて、この程度のものかもしれないんすけど、どうだろ。ここ、既存の美術館に対して挑発的な存在かもしれないのですが。

中より外をみていて気が付いたのですが、それなりの絵になるというか、絵になるというのも微妙な言葉ですが、印象に残る景色でした。雪の舞う日に行ったらきれいかもしれない、などと想像するのですが、どうだろ。たぶん植生をふくめてこの建築自体が作品のひとつなんでしょうけど、よくこういうものを作れたなあ・こういうことを考える人がいてよかったなあ、という感想を持ちました。
兼六園を見学したことがなかったので行こうと考えたものの、人がすごくてあきらめて金沢城跡へ。金沢大学が以前あって、大学を郊外に移転させて、跡地がいまは公園になってます。

お酒買ってくればよかったかな、なんてことを考えながら城内をしばらく散策しました。金沢は天狗舞をはじめとして美酒が不思議と多いところなんすけども。日本酒に適した水がでるのかなあ。

日本史において金沢というのは不思議なところです。室町末期に守護大名を自滅させ真宗の加賀門徒自治をしていました。年貢は寺に納めて殿様なしで運営するという日本でも稀有な歴史を持っています。秀吉の治世になって真宗の力が弱まると前田家が引き継ぎます。前田家は映画になった「武士の家計簿」にも詳しいですが独特の経理技術を駆使して百万石を運営します。また現在でも一定の評価がある、ある種の美意識を必要とする九谷焼加賀友禅といった産業を一方では振興します。金沢の歴史の蓄積が、さきほどの美術館のようなものをすんなり建てさせてしまうのかもしれません。さきほどの美術館はすでに観光名所になってるのですが、(普通の長方形の建物を建てずに)前例のない建物にオッケイを出す度量と、その計算高さがすげーと思っちまうのですけども。これ、ちょっとひねくれた考えかもしれません。

サクラは食傷気味ですが、お!と思ったので一枚。うまいところに植えたなあ、と。いつになるかわかんないけど、もう一回来たいところなんすが。
【福井】
翌日は福井へ

永平寺です。

永平寺福井駅から電車とバスを乗り継いで小一時間くらい行った山中にありまして

ゆるやかな傾斜地に仏殿、法堂、大庫院などが並んでます。曹洞宗の修行道場のひとつでもあって、修行僧がここでいまでも100名以上修行しています(そのほかに在家信者向けに参禅、参籠といいまして短期で夜9時消灯3時20分起床という修行僧と同様の経験を積むことができるようになってます)。

回廊ですべてが結ばれれて、雪深い山の中でも修行に専念できるようになってます(雪深いので補修が必要で、瓦の寄進を常に呼びかけてます)。

大庫院(料理をするところ)の前に掛けられた、大すりこぎ(建築時につかった地突き棒です)。このすりこぎをなでると、料理の腕が上達するうわさがあります。でもって撫でてました(料理人じゃないけど)。

薬石版といいます。簡単に言うとめしを知らせる板です。でもって書かれてる言葉が道元禅師のお言葉ですが、なかなかきびしいです。「恐怖時光之太速所以行道救頭燃」ってかかれてるのですが、恐ろしいくらい時間はあっというまに流れる、ゆえに道を行け(修行に専念せよ)頭に火がついた状態くらいに一刻も放置できない事態を救うように、という意味合いです。修行というのはたぶん仏事に限りません。日々の生活でも専念せよ、というのはわからんでもないです。時間の流れについて、ここ数年はやいというか、一年が短いと思うようになったので恐ろしいくらいにあっという間、というのはなおさら強く感じます。でもって気絶してるわけでもないのですが、あっという間に時間は流れてて、もがいたり、わりと(花見をしたりとか)よそ見したりするので、ここらへんけっこう耳が痛いです。
そのあと東尋坊というところへ。

藻取浜の製塩遺跡というのが途中にあります。なぜこんなところで?とは思うのですが、海藻が打ち寄せられやすかったのかもしれません。ここの場合、海藻を浜で干してそこに海水をかけ濃い塩水をつくり煮詰めて製塩作業をしてて、煮詰めるための土器なども出てます。奈良時代に租庸調というのがありましたが若越の沿岸部では、調は塩でした。ここでできた塩を畿内へはこぶほか、古来から塩があることで食品の保存技術が福井では発達してます。でもってその名残が福井の名産としての小鯛の笹漬け(塩漬け)、ウニの塩漬け、サバの塩漬けなんてのがあるわけっす。

東尋坊です。由来は東尋坊という悪行をする僧を突き落としたっていう説があります。確かに落ちれば死ぬかもしれません。いちばん最初にきたときはいのちの電話の看板がありました。で、その看板をみて、東尋坊の景色をみてもまったく死を連想してなかったので、びっくりした記憶があります。たぶんポーンと飛び降りたら死ぬのかもなんすが、その前に痛いだろな、痛いのやだな、なんて思っちまうのでムリでしょう(度胸がないともいう)。しんどいことが多いんだけど、そもそもやんなきゃならないことがたくさんあるのでそう簡単には死ねません。いちど来てるところなので別に寄り道しなくてもよかったんすが、半分怖いもの見たさです。怖いかっていったら怖くはないっすが。でもってやはりまだ死ねないなー、おれ変わんないなー、なんてことをちょっと確認。

つか、不思議なことに柵なんてものはありません。火曜サスペンスの世界じゃないっすけど、ここはほんと飛び込む・飛びこまないは来た人の自由なのです。あんがい作ったら柵を飛び越えたがる人が多くなるのかもなんすが。もしかしたら柵があったら不安になるかもっすけど。

でもってひるめし時だったので、越前そばを喰いました。大根おろしかつおぶしがあるのが越前そばの特徴です。

しらさぎ号に乗る前に福井市内で桜見を。

なんかこう、あわただしい週末だったんすが

ちょっとだけアタマを休めて

東京にもどりました。