このブログを書いてるのは録画していたテレビ(ブラタモリ)に影響される悪い子です。乗り換えの合間に新宿追分を探索。

おおーほんとにあったーとあわてて撮ったので「ここが追」で終わっちまってますが、新宿追分の柱で、新宿三丁目の駅の上にあります。追分というのは道の分岐点です。まっすぐ進むと青梅街道(青梅・大菩薩峠・塩山経由)といいまして甲州街道(八王子・小仏峠・大月経由)の裏街道につながります。左手へ行くと現在の甲州街道につながります。分れても末に逢わむとぞおもうじゃないっすけど、どっちへ行っても甲府に着きます。

誰も踏んでないことをこれ幸いに撮影。思いっきり不審者かも。

すぐそばにある追分団子。伊勢丹周辺までは来てもその先にあまり縁がなく、名前は知ってたのですが、ほんとに新宿追分にあるとはテレビ放映まで知りませんでした。東京在住のくせして東京の知らないところはけっこうあります。そういや新宿だと歌舞伎町も行ったことほとんどないかも。

新宿に縁がなかったのは別の街でことが足りてたからです。(モナリザが)あっとおどろく世界堂という画材屋さんが新宿三丁目にはあるのですが、私は通院していた病院のそばのお茶の水のレモンという画材屋さんをよく使ってたので、新宿はよほどのことがないかぎり来なくて済んでました。あとたしか記憶に間違えなければ世界堂はいったん焼け落ちたはず。そういや本も買うにも新宿の紀伊國屋ではなくたいてい神保町へ行ってましたから、なんだろ、あんまり用がなかったというか。

通称新宿通り。昔の甲州街道です。画面の先が新宿二丁目・四谷・半蔵門方面です。新宿二丁目もほんと知らない町です。身体の上下を通過した相手も不思議なくらい一緒に来たことがありません。好奇心がないわけでもなかったので、すぐそばまで来て、でもそのままUターンしたこともあります。おとなになってからも、もし知ってる人とあったら地元で生きてゆけないかなあなどと考えて縁がないまま、いまに到ります。縁があったら違う世界が開けてたかもですが、行ったとしても馴染めなかったかもしれません。

追分から分かれた甲州街道の陸橋。奥のほうが新宿南口です。戦時中まで京王線がこの陸橋を通過してたというのが想像できなかったり。ちなみにいまは地下深くに京王から直通してくる地下鉄新宿線が走ってます。

甲州街道沿いの新宿追分の京王ビル。戦時中まで京王帝都の駅であったところ。記憶に間違えなければヴァージンメガストアーがありました。でもいつの間にか消えてしまってて、いまはフォーエバー21という外資系の服屋さんになってます。新宿だと郄島屋の中にもHMVがあったのですがやはり消えていて、CDショップというのは難しいのかもしれません。
棚からお目当てのもの探し出す・財布と相談してあれこれ悩む・迷う、という作業が嫌いではなかったんすけど、そんなのも過去のものになっちまうのかもですねー、とか、懐古したくなるほど、知らないうちにすでにとしをとってしまったのかも。