上野動物園へ

上野山にはいろんな施設があるのですが、

そのうちのひとつが精養軒です。絵を描いての頃に賞を貰うと、そのご褒美に連れてこられたのが最初です。洋食屋さんで、カフェなら気軽に入れます。ハヤシは酸味が効いて甘いのですがしつこくはありません。
でもってしつこいようですが、東京の紅葉を。上野はのこり紅葉がまだありました。

鮮やかさには欠けますが、ほのかに枯れた色づき具合がなんともいえなくて、寂びってこんな感じだろうか、と毎年思うのですが、正解はわかりません。


目的地は、上野動物園です。録画して視聴したブラタモリの影響です。パンダがいるのは東園ですが、西園も捨てがたいです。

フラミンゴ。白い個体がいますが、子供です。わかるかなあ。こういうとき、望遠レンズのあるカメラが欲しいなあ、と思うのですが、うーん

ケープペンギン。動きをなんとなく目で追っちまうのですが、歩きづらくないのかなあ、などと考えちまうのは、そこに人を見ちまってるからかもしれません。

そのすぐそばにいるのが、ウガンダからやってきたらしいハシビロコウ。あんまり動かない鳥です。

瞑目するハシビロコウ氏。なにか哲学的なことを考えてるのかなあ、と邪推したくなるんすが、相手は鳥です。そんなことを考えるのは、人間が口を動かす前に口に出さずにあれこれ考える習慣をもってて、人間を投影しちまってるからでしょう。投影ついでに書くと、人が表情からなにかを読み取ろうとする習性も持つせいもあるかも。たぶんここらへん人間は言葉を使いながらも言葉以外で意志疎通したがる二足歩行する動物なのかもなんすが。つか、瞑目する鳥を眺めながら言葉とは何かとか人間らしさってなんなんだろってことを考えるのは妙なんすけど。

ひなたぼっこしてるようにも見えますが、ほのかに首をかしげ(てるようにもみえ)るハシビロコウ氏。こちらの考えてることが読まれてるのかな、って気もしたんですが、そんなことはないでしょう。不思議なもので、人間の場合、言葉にしないでもそれがなんとなくわかることがあります。ただ別に言葉にしないで伝わるものをいちいち言葉にしてたらたまんないなー、という気もします。鳥を眺めてて、なんで人間の顔を考えてるのか謎なのですが。全然動かないんすがほんと飽きません。動かないのが伝染して、我慢比べではないけど5分ぐらいずっと観察してました(ほんとに動かないっす、彼)。



上野動物園を取り上げた回のブラタモリで、個人的にいちばん衝撃をうけたのは馬です。

日本の在来種の保存に取り組んでるプロジェクトの紹介だったのですけども、鹿児島、愛媛、長野、沖縄の日本の在来馬がどれもちいさいのです。番組内でも言及されてたのですけど、この目で確認したくなって上野まできたのですが、ほんとにだいたい肩の高さまで130cmあるかないか。

目からうろこというかなんというか、イメージが崩れたっていえばいいのか。背の低い馬に乗ってたとすると、鹿ほどではないけど「鹿が通えるならば、馬も通えよう」という鵯越義経の話はなんとなく納得するのですが、落馬して死亡したという頼朝の話とかが怪しくなってくるような。

在来種だと尾長鶏もいました。ほんと尾がながーい。
以上、上野動物園西園の紹介でした。