東京の場合、都の水道局というのと市で水道局を持ってるところがあって、二本立てであったりします。おなじことが大阪でもあって府の水道というのと大阪市の水道というのがあります。大阪でこれを統合しよう、という話がありました。市と府で水道事業を統合すれば経費を削減できるのではないか、という点です。ところが暗礁にのりあげます。単純に統合すれば原価の低い大阪市水道を大阪府水道と一緒にしたとき、大阪市内の水道料金の値段があがる可能性があるから大阪市がのめないからです。大阪市は余力のある市水道の水道水を売却して大阪府南部へ供給することを提案しましたが、大阪府北部だけの水道代で府の水道を維持できない可能性があるので、府もそれをのめませんでした。既存の施設への投資を水道料金で回収する枠組みなので投資回収が遅れるのを避けたいのです。てなことで二年程度でものわかれに終わります。どちらも市と府で一緒にやったら将来的にコスト削減は可能かも、という認識があったようなのですが。


大阪の都構想の目的に二重行政の解消というのがありますが、二重行政の解消といっても実はちゃんと煮詰めようとするとけっこう問題が出て来ます。大阪都にして大阪市を解体したところで管理職は減らせても現場の人員は減らせませんし市の水道の原価と府の水道の原価がかわるわけではないのでごっちゃにして混ぜて現大阪市域に水道代の値上げをお願いするか、混ぜないまま市内はこのままゆき、市外の大阪府民にいまの水準で我慢してもらうかです。


「あしたの天気はかえられないが、あしたの政治はかえられる」というのは福島みずほ議員の名言(私は社民党支持ではないけどいいこというなと思った)なんすが、政治の世界はたぶんそういうことが起こり得るのかもしれません。
ただなんとなく大阪を東京からみてておっかないなあ、と思うのは、なんのために・大阪のなにをどう変えるのか、よくわかんないのです。そもそも二重行政を解消するのに何で大阪市を解体する必要があるのかがわかんないのです。水道なら水道だけ片寄せして統合すればいいからです。【変わる】ことだけ先行して【どう変わるか・変えるか】がおざなりになってる気がしてならんかったり。
変わる・変えることを説くほうがたとえ言語感覚が未熟・幼稚であったとしても、それ相応に支持があるということは、その言葉にはたぶんパワーがあるんじゃないかなあ、と。おっかねえのは、細かいことは置いておき、言葉を投げて方向性だけ示すと、ひとというのはぱーっと行ってしまう「空気で動く」ところなんじゃないかな、と。それが大阪だけの問題か、というといくらか怪しいなあ、と思ってるのですが。