四谷のかいだん

今日も地下鉄にのって途中下車するパターンです。ワンパターンですいません。


仮面の告白というのを読んだのはたぶん高校の時で、最初なんの先入観もなくどういう小説だかもわからぬまま読んで、読んだ後あー「仮面の告白」なのかー、と妙に腑に落ちました。で、「産湯に浸かってる記憶」について処女作である仮面の告白で書いておいて、いちばん最後の小説でオチをつけるように「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」ってなことを書いてるのを読んで「なに考えてんねんこのおっさん」と思いつつも、すごくひっかかっててその意味について考えたりもして、あーほんとに三島さんってこびりついてる記憶について悩まされたのか、もしくは俺の作品はまぼろし眼鏡のようなものだと言いたかったのか、などと考えてるけど、まとまりはしません。
仮面の告白」がそのまま三島さんの記憶どうりか、っていうとどうなんだろとは思います。まぼろし眼鏡なんすから、ウソかホントかもわかりません。でも、行くだけ行ってみようかな、と思って四谷三丁目で下車しました。三島さんの生まれたところは四谷です。永住町でうまれてて、いまの四谷四丁目です。もちろん生家が記念館になってるわけでもありません。でもなんで四谷へ行ったかっていったら、仮面の告白の中に出てくる坂を見よう、と思ったからです。仮面の告白の主人公は5歳の時、坂を下りてくる血色のよい美しい頬と輝く目を持つ桶を持った汚わい屋の若者に目が釘付けになります。それが主人公の半生を脅し悩まし続ける記憶の一部になります。

でもっていってみてわかったんすが、永住町は小高い丘状のところで、ゆるやかな勾配を含めて坂が複数あってどれだかは特定できませんでした。

坂であった青年が必ずしも美青年であるとか、筋肉隆々だったとは書いてません。ただ「私が彼になりたい」・「私が彼でありたい」という欲求があって、働くその姿に魅了されたんだろうな、ってことからするとけっこうきつい坂だったのかも、などと考えたんすが。子供の目からみて頬が美しいとわかるくらいなんだから狭いところだろうな、と考えて、それっぽいかなあ、と思った坂を撮影。でもほんとに坂があったってのはちょっとびっくり。


もうひとつ、四谷で降りたなら寄ろうと思ってたのが、於岩稲荷です。お岩さんの神社、っていったらわかるかもしれません。お岩さんの神社があるのは前から知ってたのですが、四谷は甲州道なのになんで「東海道四谷怪談」なんだろ、ってのが謎だったのです。

どんなところなんだろ、と思ってたら普通のお稲荷さんです。
で、行ってみて判ったんすが於岩稲荷の由来書によると、もともと田宮家という徳川家の御家人の屋敷のお稲荷さんだったんすが、お岩さんという娘さんがお参りしてるうちに田宮家が復興した、といういわれのあるところでした。で、江戸時代にそれにあやかろう、ってな人が多かったらしいのです。ところが鶴屋南北が名前だけ拝借したお岩さんを使ったあとから創作した怪談のほうが有名になっちまい(現実のお岩稲荷と違うことを示すために東海道と名付けたにもかかわらずなんすが)、さらには怪談ですから暗くて歌舞伎興行でも怪我が多かったので、祟りと絡めて語られるようになっちまったみたいで。
謎解きしてみると、あーなんだそうなのかホントの話じゃなかったのか、と妙に腑に落ちたんすが、創作でも現実にあるものに絡めるとなんだかお岩さんも伊右衛門もいたような気がしてならなかったり。容貌の変わったお岩さんを伊右衛門が見限ったりする部分で、人が人を好きになるっていうのは結局なんなんだろ、っていうことを考えさせられたり、または罪を犯してしまった人間がどんどん規範を無くしてひどいことをしてゆくのだけど、そういう側面あるんじゃないの?ということを中途半端な小悪党である伊右衛門という登場人物をつかって鶴屋南北はこっそり入れてて、それが今でも通じるところというか、すべてが架空なんすけど、これまた現実に生きる人間のある部分に触れるかもしれないところがあるから、架空とは思えない側面があるからそんなふうに思っちまうかもなんすが。
もちろんそれは記憶が本や現実の体験やらがごっちゃになって、まぼろし眼鏡でなにかをみちまってるせいもあるかもなんすけど。そんなことを考えたのは仮面の告白がウソかホントかわかんないけど三島さんが歩いたかもしれない坂を見ちまったせいかもっすが。